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飛騨高山



飛騨高山は飛騨の中央、標高570mの高山盆地に位置しています。東の空に屏風を立てたような北アルプスが高峰を連ね、西に白山、南に御嶽山と、四方を山々に囲まれた山都です。
「飛騨の小京都」として名高い高山の街は、天正13年(1585)近江の武将・金森長近が豊臣秀吉の命を受けて飛騨に攻め入り、城山に高山城を築き、その城下町となったのにはじまります。

碁盤の目のようにつくられた街並みには、江戸時代さながらの三町筋や東山一帯の神社仏閣など、昔ながらのたたずまいが残っています。金森家6代107年の治世による京文化と、徳川幕府の天領になった後の江戸文化が混じりあい、飛騨高山独特の文化となって、現代まで息づいています。


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高山の朝市                     通年 6時頃〜12時


養蚕業が盛んになった江戸時代、高山別院の境内で開かれた桑市が朝市のルーツといわれています。
その後、米市、野菜市、花市などが街角に立つようになり、高山周辺の農家が朝に採れた野菜を供給していました。スーパーが一般化する前は、高山には専門の八百屋がない、とまでいわれました。
現在の朝市は高山を代表する観光名所のひとつです。それでも、近在の農家のおばさんたちが、テントを立て、手作りの品を持ち寄っている姿に変わりはありません。定番のおみやげも、おばあさんの手作りさるぼぼだったりするのが、朝市の魅力です。


宮川朝市
朝市の風景
陣屋前朝市

宮川朝市


鍜治橋の東詰から、宮川に沿って北へ350mにわたって「宮川朝市」が開かれます。
川べりのテントでは、新鮮な野菜や果物、花、みそ、餅、漬物などの季節感あふれる店がならび、民芸品やおみやげの店も出ます。道路の向かいには、常設の酒店やおみやげ店、牛串屋台から、朝市のおばさんたちが憩う喫茶店まで軒を連ね、多くの人でにぎわいます。

陣屋前朝市


高山陣屋の門前、陣屋前広場で開かれている朝市です。
宮川朝市に比べても素朴で、昔ながらの雰囲気を残しています。売られている商品も、野菜や花などの新鮮な農産物が多いのが特徴です。


さるぼぼ
お土産の定番、飛騨の象徴「さるぼぼ」です。
高山に限らず、飛騨のどこでも目にすることができる「さるぼぼ」、オモチャなどのなかった昔、子どもの健康と安全を願って、手近な材料でぬいぐるみを作ったのが始まりといわれます。
「さるぼぼ」とは猿の赤ちゃんの意味、後から好きなように顔を描けるように、顔が描かれていません。
赤色が基本ですが、現在はいろいろなバージョンがあって、各色揃った風水さるぼぼ、ご当地キティのキティぼぼなんてのもあります。

伝統工芸


春慶塗り


春慶塗は高度な技術で塗られた紅色の漆器で、金箔や蒔絵などの装飾は施さず、透明な漆を使い天然の木目を生かしたシンプルな美しさが特徴です。
春慶塗は慶長12年(1607)に金森家の木匠・高橋喜左衛門と塗師・成田三右衛門によって作られ、宗和流茶道の祖・金森宗和が愛したことから、高山を代表する工芸品として発展しました

一位一刀彫


江戸時代後期、高山では彫刻師・松田亮長がイチイの木を使って、木目の美しさを生かした繊細な根付(携帯用煙草入れの印籠につけるストラップ)を始め、大流行しました。
明治以降に印籠が廃れると、根付の技術を用いて、のみで仕上げる彫刻や面造りが行われるようになり、飛騨を代表する工芸品になりました。
その昔、飛騨から献上したイチイの木を使って天皇の持つ笏を作ったことから、木に爵位が授けられて「一位」と呼ばれるといいます。そのイチイを切り出した山も「位山」と名づけられました。

渋草焼・小糸焼・山田焼


江戸時代の飛騨は山深く、陶磁器のような重くて壊れやすい製品を他国から仕入れることは至難の業でした。また、領内で自給自足が計られたので、尾張や九谷のような先進地から技術を導入し、いくかの窯が生まれました。
鮮やかな色彩の渋草焼、コバルトブルーの釉薬を用いた小糸焼、素朴な民芸調の山田焼があります。

高山の歴史


高山の地名は、約880年前の文献に見え、その発祥は永正年間、近江の多賀氏が天神山(いまの城山)に城を築いたことにはじまります。
城下町として発展したのは、金森長近が飛騨を平定して、天神山に高山城を築いてからで、飛騨一円の政治、経済、文化の中心地として体裁を整えました。

金森長近像
高山陣屋
旦那衆の邸宅


文化人として知られた金森長近は、高山盆地の中央を流れる宮川を鴨川に見立てて、碁盤目状の街区を整え、神社仏閣を東山丘陵に集めるなど、京都を意識した街づくりを行いました。
その一族からは宗和流茶道の開祖・金森宗和や落語の始祖・安楽庵策伝といった文化人を生み、金森氏6代107年にわたる治世のうちに、高山に京都の文化が根付いていきます。
元禄5年(1692)金森氏は出羽上山に移封され、飛騨は徳川幕府の直轄地として、江戸から高山陣屋に派遣された代官、郡代が統治するようになります。武士がいない高山の街では、「旦那衆」と呼ばれる豪商たちが力を持ち、豪華絢爛な高山祭りの屋台や工芸品、高山の町家造りなどの町人文化が花開きました。
その文化と伝統的な街並みは、近代化された後も変わらず高山に息づき、多くの観光客を集めています。



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