|
|
飛騨市の中心に、静かな城下町のたたずまいを残す飛騨古川の街があります。
伝統的な町家建築の通りや、屋台の巡行する古川祭など、隣の飛騨高山とともに「飛騨の小京都」と称され、よく比較されますが、飛騨古川ならではの落ち着いた雰囲気と文化が感じられます。 |
江戸時代、飛騨古川は金森長近の子可重が京都を模した街並みを整備しました。
その街並みの用水として引かれた瀬戸川沿いには、造り酒屋の白壁土蔵が建ち並び風情があります。きれいな水が流れる瀬戸川には、800匹もの錦鯉が泳ぎ、緑の柳が川面に影を落とします。
白壁土蔵街の中心は円光寺辺りですが、瀬戸川に沿った遊歩道は静かな住宅街を抜けて荒城川に面した弁天堂まで続いています。
白壁土蔵の一本隣の街並みは壱之町と呼ばれ、古い商家建築が残っています。
蒲酒造と渡辺酒造の2軒の造り酒屋が並び、店先にぶらさげられた杉玉や、黒く塗られた格子と白い障子戸のコントラストが目を引きます。通りには古川ちょうちんを作る白井ちょうちん屋や、和ろうそくの三嶋屋、一位一刀彫や民芸品など伝統工芸の店があって歩きながらのぞいてみるのも楽しい場所です。 壱之町の隣の二之町、三之町にも千本格子に出窓を持つ古い町家が残っています。
飛騨古川の冬の風物詩・三寺参りなど、仏事や祝い事に欠かせないのが伝統的な和ろうそく。工業製品の洋ろうそくと異なり、穏やかに上下する炎が透明に輝きます。
美しい炎の秘密は中空になった芯にあります。和紙とイグサの灯心、真綿で芯を作り竹串に差し、くるくる回しながら、溶かした上質の天然ろうに浸しては引き上げる作業を繰り返しながら、胴すぼまりの独特の形を作っていきます。
電話:(0577)73−4109
飛騨市役所の近く、飛騨古川のシンボルでもある瀬戸川白壁土蔵街の始まりは、大銀杏の木がそびえる祭り広場になっています。観光客の憩いの場でもある祭り広場には、太鼓蔵に納められた起こし太鼓があり、賽銭をあげて叩くことができます。
ここには特産品の販売所やレストハウス、飛騨の匠文化館と飛騨古川まつり会館といった施設が集まっています。
詳しくはこちら
釘を一本も使わない伝統的な土蔵建築で作られた飛騨の匠文化館は、古川大工の技と歴史を伝える博物館です。千年以上続く飛騨の匠の木造建築技術は、木材の特性を知り尽くし、生かした木組みの巧みさにあります。
民家の軒先を支える肘木の木口に独特の装飾が彫られ、白く塗られた「雲」は、その家を建てた大工のサインのようなもの。個性的な「雲」も展示されています。
9時〜16:45 300円 休:年末年始 (0577)73−3321
4月19日の起こし太鼓と、20日の屋台巡行で登場する屋台が展示されています。
まつり会館に入ると、約15分間のハイビジョン3D映像で古川祭を擬似体験し、それから実際に使われる祭りの品々を見学します。屋台の精緻な装飾や、からくり人形の動きを間近に見ることができます。
9時〜17時 800円 休:年末年始 (0577)73−3511
飛騨古川の街にある浄土真宗本願寺派(西本願寺)の三寺院は、毎年1月15日に親鸞聖人の徳を偲ぶ三寺参りの舞台となるお寺です。
円光寺は、瀬戸川と白壁土蔵街に面しています。独特な山門は、江戸時代に幕府の一国一城令によって取り壊された増島城の城門を移築したものです。
本光寺は、壱之町から荒城川にかかる霞橋へ向かう左手です。大正2年(1913)に再建された総欅造りの本堂は飛騨で最大の木造建築物です。
真宗寺は、荒城川が宮川へ合流する地に境内が広がります。増島城主・金森可重が寺域を与えたといいますが、明治の大火で焼失し、その後再建されました。
|
真宗寺の向かいにある伝統的木造建築の美術館。
地元の工芸家の作品や特産品を販売する販売スペースと、古川出身の彫刻家・中垣克久氏の彫刻作品や作家・早船ちよ氏の原稿などを展示する展示スペースがあります。
ガラス美術館駒は二之町にある白壁土蔵の小さな美術館。館長が30年以上にわたって収集した、幕末から明治の和ガラス650点が展示されています。
9時〜16:30 共通券500円 休:木
(0577)73−7770
|
古川駅の駅裏に誕生した新しい美術館です。
「飛騨ものにこだわる」をコンセプトに、飛騨市にゆかりのある作家の作品、及び郷土の美術品を中心に収集・公開しています。玉舎春輝や上原誠を中心に、飛騨で生まれ飛騨で育った小枝利汎、中垣克久、上葛明広の作品展示を行っています。
美術館周辺には、中垣克久彫刻庭園美術館を併設しています。
9時〜17時 200円 休:月 (0577)73−3288
平城としては飛騨で唯一の城跡です。現在は古川小学校の敷地になっています。
天正17年(1589)金森長近が築城し、養子の可重を城主にして古川の街づくりを行いました。江戸時代になると、幕府の出した一国一城令によって金森家別邸に変わり、元禄8年(1695)天領になると共に完全に打ち壊されました。 本丸矢倉の石垣と内堀の一部が残っています。
飛騨古川の鎮守社で、奇祭・起こし太鼓で知られる古川祭はこの神社の祭礼です。
古川の東郊外の山裾にあり、市街地から離れた静かな田園地帯に囲まれています。天正17年(1589)に金森可重が増島城主になると、武運を祈願する神社として崇拝しました。
|
古川町の黒内果樹園の一角にある立ち寄り温泉。
ここは、春は桃やりんごの花の香り、夏には桃の、秋から初冬にかけてはりんごの甘い香りに包まれ、遠くに北アルプス乗鞍岳を望む桃源郷です。
館内には天然木仕上げの和風浴室とモザイクタイル張りの洋風浴室があります。 |
|
|