Panorama飛騨 飛騨路と北アルプスの絶景地ガイド

 
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平田記念館


 上二之町の平田家は屋号を「打保屋」といい、ロウソクや日本髪を結うときのビンツケ油を商っていた豪商でした。
 現在は平田記念館として公開され、10代に及ぶ商家の歴史や、当時の女性が使用した化粧道具や生活道具、代々収集してきた書画骨董の美術品などを、3棟の土蔵に展示してあります。
 平田記念館は高山でも指折りの町家建築です。江戸時代の建築当時は、豪商上野屋のもので、特に展示室の土蔵は名工・谷口権守の作です。

9時〜17時 300円 無休 電話:(0577)33−1354

みせ

 玄関を入ると広い土間の上に吹き抜けの空間が広がるみせです。
土間からろじを進むと、中庭をはさんで土蔵があります。

座敷

 みせの奥は囲炉裏のある商家の生活の場です。その奥に主人の間や客間、仏間があります。江戸時代の豪商は高山陣屋の幕府権力に遠慮して、軒を深く、屋根を低くして建物の外見を地味に見せました。
 その一方で、外から見えない座敷の内部の意匠には贅を凝らしています。

土蔵

 みせからろじを進んだ奥に中庭があり、それを挟んで土蔵が並びます。
 土蔵の内部には、平田屋の扱ってきた和ロウソクや女性の髪結い、化粧の道具、旅用品と古地図、昔懐かしい子どもの玩具などがテーマ別に展示されています。

上野屋と谷口権守

 天明4年(1784)、大火で焼失した高山別院が再建されることになりました。
 高山でも有数の豪商・上野屋靖三郎は個人で鐘と鐘楼を寄進することにし、上野屋専属の大工・谷口五右衛門に鐘楼の建築を依頼しました。

 ところが、谷口五右衛門は、当時、最高の勢力を持ち、高山別院本堂を造っていた水間相模守とその一族から、守名のない大工が造るのか、と侮辱されました。
それを聞いた上野屋は、すぐに番頭を京都に走らせ、公家に金を積んで権守という官位を受けてきました。鐘と鐘楼を合わせた建築費より、権守名を受けるための金の方が高かったといいます。

 谷口権守の一族は、その後名工が輩出し、江戸後期から明治にかけて寺社や高山祭りの屋台など多くの秀作を残しました。


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