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上高地TOP



信州の西端、北アルプス槍ヶ岳を源流とする梓川が穂高連峰の峰々を回りこむ盆地に、北アルプスのみならず、日本を代表する山岳景勝地があります。上高地です。
標高1500m、北アルプスの水と空気はどこまでもさわやか。頂上をめざす登山者だけでなく、ハイキングから避暑まで、年間200万人が訪れる人気のリゾート地です。
古代、信州安曇野を開拓した海洋民が、穂高岳を水源として崇拝し、ここを「神垣内」と呼びました。不思議なことに、穂高神社の祭神・穂高見命は海の神様です。その奥宮とされる奥上高地・明神池では、「御船神事」が執り行われるなど、海の記憶を現在に伝えています。
神域「神垣内」は、明治時代にウォルター・ウェストンら外国人によって紹介され、「上高地」と書かれるようになりました。穂高連峰のごつごつした稜線は岩と雪の殿堂にふさわしい風格です。山々を眺めながら、点在する池と澄んだ清流を訪ねて上高地の森を歩いてみましょう。


パノラマップ上高地

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上高地のアクセス             上高地バスターミナル (0263)95−2106
上高地の玄関
上高地バスターミナルへは
平湯からシャトルバスで

上高地は通年マイカー規制が実施されているため、シャトルバスに乗り換えて入山します。
高山方面からは、国道158号線で平湯温泉に行き、平湯のアカンダナ市営駐車場からシャトルバスで平湯バスターミナル経由で上高地に行きます。安房トンネルを通過して約30分。
松本方面からは、国道158号線で沢渡駐車場まで行き、シャトルバスに乗り換えます。約30分。
その他、高山バスターミナルからの直行バスや、松本電鉄新島々駅からのバス、東京・名古屋・大阪方面からの高速バスもあります。


上高地の自然


上高地の地形


北アルプスから流れる梓川の上流、槍穂高連峰から焼岳の山脈と、常念岳の山脈に囲まれた標高1500mの谷間にあります。大正池から横尾まで長さ約10km、幅は最大約1kmの堆積平野で、両端の標高差はわずかに60m。日本で、この高度でこれだけの広さを持つ平坦地は、上高地以外にありません。
深い峡谷にダム群や険阻な断崖を作る梓川をさかのぼり、上高地入口の釜トンネルを出ると突然、目の前の谷間が開けます。大正5年(1915)の焼岳大噴火によって堰き止められた大正池です。一時は現在の数倍もの広さがあった大正池は、流入する土砂によって年々狭まり、やがて川に戻る運命にあります。
大正池の北には、かつて堰き止められてできた田代池が湿原となり、乾燥化して草原に変わる様子が見られます。河畔林のケショウヤナギが茂る梓川に沿って進むと、植樹林ではあるものの、年月を経て自然林にも劣らない見事なカラマツ林が続き、明神岳の勇姿を静かに映す神秘的な明神池があります。


上高地の動植物


ケショウヤナギ
河童橋の周辺で見られる梓川畔のケショウヤナギ林は、上高地を代表する樹木のひとつです。
ケショウヤナギは河川の氾濫によって運ばれてきた新しい土砂の上に進出します。やがて、ヤナギが根を張って土壌が安定してくると、他の植物も進出し、ハルニレなど湿性を好む樹木が茂る森へと変わってゆきます。

カラマツ林
バスターミナルから小梨平周辺には見事なカラマツ林があります。
この森は植林されたもの。江戸時代から松本藩によって森林伐採が行われ、牧場にされてきた上高地では、実は原生林と呼べる森は残っていません。
梓川下流域での水害防止のため、大正時代に伐採が禁止され、植林が進められました。現在ではほとんど自然林のような風格があります。

ニリンソウ
5月中旬、ようやく雪も解けた上高地に遅い春を告げる花です。
上高地では、明神や徳沢を中心に、森の中に白い花を敷き詰めたように大群落が広がります。
ところで、ニリンソウの白い花は、実は萼が変化したもので、正しくは花とはいえません。

レンゲツツジ
上高地の明るい初夏を彩る花です。
湿性の高原を好み、田代湿原や岳沢湿原に見事な群落をつくっています。

動物
上高地は野生動物にとって大切な生活の場です。
ニホンザルは岳沢湿原周辺でよく姿を見ますが、人間との棲み分けができていて、手を出さなければ悪さをしません。
ニホンカモシカは焼岳や穂高岳の登山道に出没します。岩場をものとせずに歩き回ります。その他、オコジョやタヌキなどがいます。


上高地の成り立ち


100万年以上前、北アルプス一帯では超巨大な火山爆発が起き、穂高岳や槍ヶ岳の原型となる火山台地が形成されました。火山活動の後は、大地の隆起と河川の浸食を受けて険しい山脈が形成され、氷河期には山岳氷河が岩肌を削り取ってカールやU字谷といった圏谷を生み、アルプス的な岩峰をつくりました。
その頃の梓川は飛騨の高原川へつながって、富山湾に注いでいました。つまり、原始の上高地は飛騨にあったのです。ただし、梓川は深いV字谷を刻み、現在とは様相が異なっていたと考えられます。
現在の上高地ができたのは約2万年前、焼岳火山群が噴火して白谷山が噴出し、梓川を完全に塞ぎました。行き場を失った梓川は、大正池から横尾にかけて広い湖をつくり、ついに信州側の山地を侵食して安曇野へ流れ出しました。これを河川争奪と呼びます。かつての湖の跡に上流から流出した土砂が堆積した平が上高地なのです。

大正5年(1915)、焼岳の大噴火で流れ出した泥流は、梓川を堰き止めて1日のうちに大正池をつくりました。今では上高地を代表する景観となっています。また、昭和36年(1961)にも噴火して、当時の焼岳小屋を吹き飛ばしました。


上高地の歴史


江戸時代までの上高地


古代には安曇野の海洋民によって、穂高岳が神格化され、その麓の奥上高地・明神池が「神垣内」として崇められていました。上高地一帯は木こりや猟師が仕事の場としていましたが、飛騨と信州を結ぶ峠道としても古くから利用され、鎌倉時代には北陸諸国と関東をつなぐ鎌倉街道は、新穂高の中尾高原から中尾峠を越え、焼岳の中腹を巻いて信州に出ました。南北朝時代には南朝の慶長天皇や宗良親王が信州と越中の行き来に利用したと伝わっています。
戦国時代には、金森長近の軍勢に追われた三木秀綱と奥方衆が、中尾峠を越えて敗走しますが、信州の山中で土民の手にかかって殺害されました。
江戸時代、焼岳の噴火などで閉鎖されていた中尾峠が飛騨新道として復興します。この街道は飛騨から中尾峠を越えて上高地温泉に泊まり、明神から徳本峠を越えて島々宿に出るものでした。
飛騨の名峰・笠ヶ岳を再興し、その頂上で天を突く槍ヶ岳の勇姿に感動した僧・播隆は、上高地から槍ヶ岳を開山し、諸国を行脚して集めた浄財によって危険な岩場に鉄鎖を設置するなど、一般の人々に信仰登山を広めました。


近代登山の夜明け


明治時代に入り、日本にやってきた外国人は積極的に国内各地を歩きました。中でも登山趣味のあった英国人、ウィリアム・ガウランドは明治10年、槍ヶ岳を「JAPAN ALPS」と名付けて雑誌に発表しました。また、有名なウォルター・ウェストンは「日本アルプスの登山と探検」を著して、世界に日本アルプスを紹介しました。外国人に刺激されて、日本人の北アルプス登山も盛んになります。徳本峠を越えて上高地を訪れる登山家を、上條嘉門次や内野常太郎といった猟師たちが案内し、彼らは上高地近代登山史を飾る名ガイドとして名を残しました。
大正5年(1915)焼岳が大噴火して、大正池の景観をつくります。昭和2年に芥川龍之介の名作「河童」が発表され、鉄道省が募集した日本八景で上高地が第一位を取るなど、一般の人々にも上高地の美しさは知られていきました。昭和9年、北アルプス一帯は中部山岳国立公園に指定され、バス道路が開通すると共に、上高地牧場は閉鎖されました。観光地・上高地の始まりです。


観光地としての上高地


戦争中に束の間の静けさが戻った上高地も、戦後の復興と共に大衆観光地として年間数十万人もの人が訪れる場所になりました。ツアーの観光バスで押しかけた観光客は、都会の格好のまま河童橋の周辺で写真を撮って、手軽なお土産を買い、大自然の息吹を感じることもなく慌しく去っていきます。また、マイカーの普及で、上高地の道路は駐車場待ちの車が溢れるようになり、段階的にマイカー規制が実施されました。現在は全面交通規制があります。

明治42年から植物採取が禁止された上高地では、江戸時代から続く森林伐採で荒れていた山にカラマツ植林が行われ、鳥獣保護や岩魚漁の禁止など、自然環境保護の先進地でもありました。
マナーを守って大自然を感じる歩く旅をしましょう。上高地の自然と歴史を知り、大自然の息吹を感じることが、この美しい上高地を後世に伝えることにつながるでしょう。



上高地スノーシュートレッキング



厳冬の穂高岳
冬も大賑わいです
大正池

上高地の冬は、バスもなく、宿泊施設も休止して雪に閉ざされます。
観光客の歓声が途絶えた冬の上高地は、束の間の静けさに包まれます。その厳しくも美しい大自然の姿は、この時期に歩いて訪ねる者だけが目にすることができます。
洋風かんじきのスノーシューを利用すれば、比較的手軽に冬の上高地を楽しめるようになりました。週末には夏場もさぞやと思わせるほどの人がスノーシューやクロカンスキーでトレッキングを楽しんでおり、静まり返った上高地を想像していると、ちょっと拍子抜けします。
ただし、ここはやはり北アルプス、冬型の気圧配置になれば、猛吹雪に襲われます。防寒防風の衣服や冬山装備、ヘッドランプ、非常用食料を十分揃えましょう。冬の上高地を楽しむコツは、

○中ノ湯の釜トンネルから河童橋まで片道約8kmあります。早朝に出発して時間に余裕を持ちましょう。冬の夕暮れは早く、急激に気温が下ります。

○必ずパーティで行動し、単独行はやめましょう。

○トレッキングで最も心配なのは意外にも交通事故です。冬は観光シーズンの準備期間でもあり、工事用の車輌が出入りします。特に釜トンネル内部は凍結して危険な上にカーブや急傾斜で見通しが利きません。
トラックやダンプとのすれ違いざま、体からはみ出た装備を引っ掛ける事故があります。

○釜トンネルから大正池までの区間は雪崩が起きやすいので、注意して通過しましょう。

○一面に広がる雪原は魅力的ですが、湿原保護のために夏道を辿りましょう。森林内に入ると、平坦なため方向を見失うことがあります。また、除雪された車道は工事用車輌が通ります。基本ルートを歩きましょう。



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