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飛騨の農家というと合掌造りを連想されますが、おなじみの切妻合掌造りは白川郷の中でも現在の白川村、かつての下白川郷と越中五箇山地方にのみ見られるものです。飛騨の中央部から南部にかけては、屋根の形に特徴がある飛騨独特の民家が分布しています。
切妻2階建ての大屋根は勾配はやや緩やか、軒がかなり深く、太い垂木、軒下の小腕に意匠があります。もともと栗の木などの板で葺いたクレ板葺きに石置きでしたが、現在ではトタン板か瓦葺になっています。
江戸時代初期までの農民は大変貧しく、民家には床がなく土間に筵を敷いて生活していたといわれます。江戸中期になって現金収入としての養蚕が盛んになると、現在見られる民家が発達しました。
蚕を飼うためには広いスペースが必要です。1階は普段は障子や襖で部屋を仕切っていますが、養蚕の時期には全ての仕切りを外して、大きな空間を作りました。大屋根の乗った2階は、ほぼ屋根裏部屋なので、四周に窓があっても切妻部分しか光が入りません。これも養蚕部屋として生まれたものです。
土間は作業場として広くとられ、牛や馬も飼われていました。
養蚕業が絶えた現在、どこでも現代風の民家に建て替えが進んでいますが、下呂市上原や高山市朝日町、丹生川町、上宝町蔵柱谷などに風格のある古民家が多く、飛騨らしい農村風景が見られます。
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