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富山市は立山黒部アルペンルートの入口、飛騨路の北のゲートシティです。
平成26年(2014)の北陸新幹線の開業をめざして富山駅も改装工事が進められており、完成すれば名古屋から飛騨路を抜けて富山から新幹線での周遊が可能になるなど、大きな可能性を持っています。
新鮮な富山湾の海の幸に恵まれ、北アルプス立山連峰を一望する眺めと、鱒のすしや富山ブラックラーメンといった新旧の名物が揃った富山市に注目です。
戦国時代、上杉謙信と武田信玄が争奪戦を繰り広げた富山城は、織田信長の家臣・佐々成政の入城後、天正13年(1585)本能寺の変後の権力争いで反秀吉派についたため、豊臣秀吉の越中攻めに遭って破却されます。その後、加賀藩の前田家が領有しますが、幕府の一国一城令で再び廃城となり、寛永16年(1639)加賀藩から富山藩が分離独立した際に築城されました。
明治維新後は行政機関の建物に分割されて城郭の面影を留めませんでしたが、第二次大戦の空襲によって徹底的に破壊された富山市の復興のシンボルとして、昭和29年に現在の天守閣が復元され、富山市郷土博物館になりました。
富山城の外堀にあたる松川では、四季折々の風情を楽しむ松川遊覧船が運航されています。
9:00〜17:00 休:年末年始 200円 電話:(076)432−7911
富山市の西郊外、北アルプスと富山湾を望む呉羽山丘陵のふもとにある複合文化施設です。越中五箇山から移築した合掌造り民家や富山の売薬資料館、土人形工房など9つの博物館が点在し、共通チケットのほか、単独の資料館だけでも入場できます。
9:00〜17:00 休:年末年始 1館100円 電話:(076)433−8270
富山市南部、越中と飛騨の国境に近い越中八尾は、浄土真宗の聞名寺の門前町として開かれました。江戸時代に富山藩の交易市場が設けられると、特に養蚕業や和紙、製薬業の中心として繁栄し、「富山藩の御納所」と称されました。最盛期には藩財政の6割を賄ったといいます。
町人文化が栄えた越中八尾には、豪華絢爛な「曳山」や、哀愁を帯びた胡弓の調べで知られる「おわら風の盆」などの有形・無形文化財が現在まで息づいています。明治から戦前にかけても「蚕都」として輸出用養蚕・紡績業で繁栄しますが、戦後、養蚕業が衰退すると越中八尾も静かな町に戻りました。
山手の諏訪町通りでは歴史的景観に合わせて新築の建物も外観を揃え、「日本の道百選」にも選ばれています。
毎年5月3日に行われる豪華な越中八尾曳山祭りの曳山を3台展示しています。
その他、養蚕業の歴史や八尾の町を描いた林秋路の絵画作品などの展示のほか、定期的に「風の盆ステージ」としておわら踊りの実演が行われています。
9:00〜17:00 休:年末年始 500円 電話:(076)454−5138
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初代おわら保存会の会長・川崎順二氏の邸宅をおわら資料館として公開しています。
9:00〜17:00 休:年末年始 200円
電話:(076)455−1780 |
浄土真宗本願寺派の古刹で、丘の上に建つ本堂はどこからでもよく目立ちます。
越中八尾はこの寺の門前町として始まり、加賀藩によって町の免許が下されて以来、富山周辺の宗教、文化、経済の中心地として発展してきました。
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