Panorama飛騨 飛騨路と北アルプスの絶景地ガイド

 
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東山寺町


 安川通りの坂を上ると、ゆるやかな東山丘陵に12の神社仏閣が点在しています。
 京都に心酔した高山城主・金森長近が、町の東側に縁の寺院を建立、移転させてできたのが東山寺町です。高台から古い街並みを見守る寺院群をぬって、城山公園まで遊歩道が続いています。
静かな雰囲気を楽しみながら歩けるお勧めの場所です。

高山別院
 広い参道の正面に大きな山門を持つ高山屈指の大寺院が、浄土真宗大谷派高山別院です。
 飛騨は浄土真宗王国で、別院は「飛騨御坊」「仲間の御坊さま」と呼ばれ、宗派を超えて人々の厚い崇敬を受けてきました。

 高山別院は20間4面総ヒノキ造りという豪華な建築を誇ってきましたが、昭和22年に全焼し、再建されて間もない昭和30年にも再び全焼したため、現在はコンクリート製の寺になってしまいました。広い境内は駐車場になっています。

寺宝館9時〜15時 見学無料 不定休 電話:(0577)32−0688

高山別院の歴史

 もともと白川郷中野にあった光輝山照蓮寺は、親鸞聖人の弟子・嘉念坊善俊が道場を建て、白川郷に浄土真宗を布教したことに始まります。一向一揆の影響を受け、浄土信仰で結束した農民たちは、ときの領主・内ヶ島氏と武力衝突します。

 蓮如上人の仲介で和解した内ヶ島氏と真宗門徒は、中野に照蓮寺を再建しました。のちに金森長近は、飛騨平定にあたって照蓮寺と手を結びます。その後の関ヶ原の戦いで安心して外征できたのは、飛騨の真宗門徒との信頼関係があったからでした。
金森長近はその功績を称えて照蓮寺を高山に移転させ、高山城の正面に広大な敷地を持つ大寺院を建立しました。

 江戸時代には塔頭8ヶ寺が取り巻いて、寺内町と門前町は寺の自治に任されました。 金森重頼の三男・宣心を住職に迎え、京都・東本願寺から佐奈姫が輿入れするなど、ときの藩主や本山との関係を深めますが、宣心の派手な振る舞いから末寺や門徒の信頼を失い、ほどなく飛騨が天領になると、藩主の後ろ盾を失って寺運が衰えました。
 照蓮寺の血統が17代で絶えた後は、東本願寺別院となって現在に至ります。

東山遊歩道

 高山の古い街並みを見守る東山寺町、その北端の雲龍寺から南の宗猷寺まで、12のお寺と神社を巡る遊歩道です。隣り合うお寺とお寺をつないで、石畳の道が延びていますが、住宅街の中を上がり下がりして、路地を探検するような楽しさもあります。
 最近では、日本らしさが味わえるとして、欧米人の旅行者に人気があるようです。

雲龍寺

 東山九山寺の北端にあたる曹洞宗の寺院です。
 塔頭の久昌寺、栄鏡院に囲まれた石段を登ると、高山城の黄雲閣を移築した鐘楼門があります。天正15年(1587)、本能寺の変で戦死した金森長近の長男・長則の菩提寺です。

東山白山神社
 養老4年(720)創建の高山でも最も古い神社で、高山城の鬼門避けとするため、現在地に移されました。境内には夫婦杉の巨木があります。

大雄寺

 安川通りの正面にある浄土宗寺院。
 かつて塔頭5ヶ寺を持つ大寺院でしたが、現在の塔頭は洞雲院のみ、しかし、東山寺院の中で屈指の大伽藍を持つことには変わりありません。高い石垣の上に、重要文化財の仁王門や鐘楼、大きな本堂、六角堂などの建築物が並んでいます。東山の紅葉の名所として、秋には多くの人が訪れます。

素玄寺

 大雄寺とは、国道158号線をはさんで並んでいます。高い石垣の上に伽藍が建ち並ぶ曹洞宗の寺院です。金森長近の菩提寺として、二代可重が建立しました。
本堂は高山城の評定所を移築したものです。

神明神社
 高山城の月見殿を移築した絵馬殿があります。
神明神社の祭礼には屋台・神楽台が1輌あり、解体されたままでしたが、最近復活しました。

天照寺

 寿永年間(1182〜85)真空明照大阿闍利の創建といわれ、かつては天台宗の大寺でしたが、のちに廃絶、元和年間(1615〜24)浄土宗の寺院として再建されました。
父との確執から飛騨へ配流となった徳川家康の六男・松平忠輝や加藤清正の孫・光正が過ごした寺でもあります。
 現在はユースホステルを併設し、外国人バックパッカーの宿になっています。

法華寺

 三町から、えび坂を上がると正面にある飛騨で唯一の日蓮宗寺院です。
 永禄元年(1558)に創建されました。その後、飛騨に配流された肥後藩主・加藤光正が日蓮宗であったことから、金森重頼によって、20歳の若さで客死した光正の菩提寺として本堂が寄進されました。
 本堂脇の石仏は洗い仏といわれて、自分の悪いところと同じ場所をタワシで洗うと、病気が治ると伝えられます。

善応寺
 金森長近に敗れた松倉城主・三木氏の菩提寺で、戦いの際に焼失し、のちに場所を移して再建されました。
 本尊の如意輪観音像はインドで作られ、栄西禅師が中国から日本へ持ち帰ったものと伝えられています。

宗猷寺

 東山寺町の最南端、高山城の石垣を移した巨石の石垣の上に、重層の伽藍がそびえる臨済宗の寺です。
 寛永9年(1632)、金森重頼、重勝の兄弟によって創建されました。明治維新の際に西郷隆盛と勝海舟の間に立って江戸城無血開城に尽力した山岡鉄舟は、父親が21代飛騨郡代であったことから、十代を高山で過ごし、宗猷寺で学問と禅を学んでいます。

錦山神社

 東山の南続き、城山に向かい合う錦山神社は、御嶽信仰の名残を留める古社です。かつて修験道の金剛寺を別当に持ち、東山三社に数えられました。現在は小さな社殿があります。

荏名神社

 高山に生まれた江戸時代の国学者・田中大秀が文化12年(1815)、江戸街道の脇にあった稲置森を、延喜式にある古社・荏奈明神であると考証して再建し、その傍らに住居を定めました。
 田中大秀は本居宣長の弟子で「竹取物語考」を著した国学者です。荏名神社の傍らで門下生に国学や和歌を教授し、その数は飛騨内外に300人を越えたといいます。大秀の蔵書は荏名文庫といい、高山市郷土館に納められています。


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