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北アルプスから流れる梓川の上流、槍穂高連峰から焼岳の山脈と、常念岳の山脈に囲まれた標高1500mの谷間にあります。大正池から横尾まで長さ約10km、幅は最大約1kmの堆積平野で、両端の標高差はわずかに60m。日本で、この高度でこれだけの広さを持つ平坦地は、上高地以外にありません。
深い峡谷にダム群や険阻な断崖を作る梓川をさかのぼり、上高地入口の釜トンネルを出ると突然、目の前の谷間が開けます。大正5年(1915)の焼岳の大噴火によって堰き止められた大正池です。一時は現在の数倍もの広さがあった大正池は、流入する土砂によって年々狭まり、やがて川に戻る運命にあります。
大正池の北には、かつて堰き止められてできた田代池が湿原となり、乾燥化して草原に変わる様子が見られます。河畔林のケショウヤナギが茂る梓川に沿って進むと、植樹林ではあるものの、年月を経て自然林にも劣らない見事なカラマツ林が続き、明神岳の勇姿を静かに映す神秘的な明神池があります。
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河童橋の周辺で見られる梓川畔のケショウヤナギ林は、上高地を代表する樹木のひとつです。
ケショウヤナギは河川の氾濫によって運ばれてきた新しい土砂の上に進出します。やがて、ヤナギが根を張って土壌が安定してくると、ハルニレなど湿性を好む樹木が茂る森へと変わってゆきます。 |
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バスターミナルから小梨平周辺には見事なカラマツ林があります。この森は植林された人工林です。
上高地は、江戸時代から松本藩によって森林伐採が行われ、牧場にされてきた上高地では、実は原生林と呼べる森は残っていません。
梓川下流域での水害防止のため、大正時代に伐採が禁止され、植林が進められました。現在ではほとんど自然林のような風格があります。 |
5月中旬、ようやく雪も解けた上高地に遅い春を告げる花です。
上高地では、明神や徳沢を中心に、森の中に白い花を敷き詰めたように大群落が広がります。ところで、ニリンソウの白い花は、実は萼が変化したもので、正しくは花とはいえません。
上高地の明るい初夏を彩る花です。
湿性の高原を好み、田代湿原や岳沢湿原に見事な群落をつくっています。
上高地は野生動物にとって大切な生活の場です。
ニホンザルは岳沢湿原周辺でよく姿を見ますが、人間との棲み分けができていて、手を出さなければ悪さをしません。ニホンカモシカは焼岳や穂高岳の登山道に出没し、岩場をものとせずに歩き回ります。その他、オコジョやタヌキなどがいます。
100万年以上前、北アルプス一帯では超巨大な火山爆発が起き、穂高岳や槍ヶ岳の原型となる火山台地が形成されました。火山活動の後は、大地の隆起と河川の浸食を受けて険しい山脈が形成され、氷河期には山岳氷河が岩肌を削り取ってカールやU字谷といった圏谷を生み、アルプス的な岩峰をつくりました。
その頃の梓川は飛騨の高原川へつながって、富山湾に注いでいました。
つまり、原始の上高地は飛騨にあったのです。ただし、梓川は深いV字谷を刻み、現在とは様相が異なっていたと考えられます。
現在の上高地ができたのは約2万年前、焼岳火山群が噴火して白谷山が噴出し、梓川を完全に塞ぎました。行き場を失った梓川は、大正池から横尾にかけて広い湖をつくり、約4千年前に、信州側の山地を侵食して安曇野へ流れ出しました。これを河川争奪と呼びます。
かつての湖の跡に上流から流出した土砂が堆積した平が上高地なのです。
大正5年(1915)、焼岳の大噴火で流れ出した泥流は、梓川を堰き止めて1日のうちに大正池をつくりました。今では上高地を代表する景観となっています。また、昭和36年(1961)にも噴火して、当時の焼岳小屋を吹き飛ばしました。
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