|
|
下呂温泉の南の飛騨川と木曽川は、峡谷美が素晴らしく飛騨木曽川国定公園に指定されています。
下呂温泉の玄関にあたる渓谷が中山七里です。その下流には、飛騨川による深い浸食で谷底が見えないほど険しい飛水峡が続いています。
美濃加茂市で飛騨川が合流する木曽川の上流には蘇水峡、鬼岩公園といった岩と水が造りだした自然の造形が点在しています。 |
下呂温泉の玄関にあたる渓谷を中山七里といいます。
豊臣秀吉の武将・金森長近は、5つの峠を越える道が不便なことから、険しい飛騨川沿いの難所を切り開いて新たに飛騨街道を開通させ、中山七里と名づけました。
飛騨木曽川国定公園の景勝地で、南の金山町から北の帯雲橋まで28kmにわたって白い岩肌の奇岩怪石とエメラルドグリーンの水が美しいコントラストをつくります。
|
飛騨川に臨んで巨大な岩壁がそびえています。
幅200m、高さ80mのまさに屏風を立てたような切り立った岩山で、直下を急カーブで走り抜ける国道41号線に覆いかぶさり、中山七里最大の難所です。
麓に祀られた孝子・門原左近が守っているため、落石事故が起きないと伝えられています。 |
|
孝子池の北500mくらい、国道41号線の飛騨川の対岸に羅漢岩があります。
まるみを帯びた巨岩がいくつも重なって、その間に松林があります。明治43年(1910)に飛騨から富山まで旅した哲学者・井上円了が、十八羅漢が天から降りてきたようだ、と評して命名しました。
中山七里で最も水墨画的な風景といわれています。 |
|
JR焼石駅の対岸、国道41号線沿いの瀬戸発電所に隣接して孝子池があります。
池は松林に囲まれて車窓から目立ちませんが、庭園風に整備されていて、国道に面した駐車場や売店があります。 |
むかし、近江の戦乱を逃れて、この地でひっそりと暮らしている門原左近という人がありました。左近の老母が病に臥せったとき、故郷の琵琶湖の水が飲みたい、と言うので親孝行な左近は近江まで遠路を水汲みに出かけたのでした。
ひょうたんに琵琶湖の水を満たした左近は帰り道を急ぎましたが、家まであとわずか、という場所で土地の人から老母が亡くなったことを聞きます。思わずその場に崩れ落ちた左近のひょうたんの口から、水がとくとく溢れ出しました。
不思議なことに、ひょうたんの水は大きな池になり、どんな渇水のときも涸れたことがないといいます
|
国道41号線の赤い中原大橋から、飛騨川支流の門和佐川沿いに約2kmに苗代桜があります。
樹齢400年の2本の桜の老木で、高さは30m近くあります。苗代桜の名は、近在の農家が桜が咲くのを目印に田植えの準備を始めたところからきています。
桜の前にある水田に水が張られて、その水面に満開の桜が映りこむ姿が幻想的で、多くの花見客を集めています。夜にはライトアップもされ、下呂温泉から見学バスツアーも出ています。 |
飛騨川の支流で、山と里の間を流れる穏やかな清流です。
川底のところどころに一枚岩の岩盤があり、その上を滑るようにきれいな水が流れていきます。かつて水車小屋に引いていた導水路があちこちにあって、日本の里の川といった風景が続きます。県道沿いから一の樽、二の樽、三の樽の滝も眺めることができ、落差10mとなかなか迫力があります。
門和佐川はゲンジボタルの生息地として、「ふるさといきものの里百選」にも選ばれていますが、観光名所でも何でもないので、看板もなく道路は狭いです。対向車に注意してください。
牙岩の上流、JR高山線と国道41号線が並行して走るダム湖です。
静かな水面に周囲の山々を映す風光明媚な場所で、ダム湖に沿った鉄橋を行くJRの列車からは水上を滑るような感覚が味わえます。
国道沿いに紅葉の並木が続き、秋には素晴らしい景色が楽しめます。
国道41号線下原発電所近くの吊橋の下が中山七里の景勝地・釜ヶ淵・牙岩です。
釜ヶ淵は10m以上の高さがある白い岩場の間を飛騨川が流れる峡谷で、急流に浸食された岩はどれも奇妙な形をしています。
|
国道41号線、道の駅美濃白川ピアチューレに併設された日帰り温泉です。
内風呂と露天風呂、壺風呂のやや小ぶりな造りながら、泉質のよさとリーズナブルな料金で、ドライバーに人気があります。露天風呂には美濃白川特産の麦飯石が使われています。 |
道の駅美濃白川ピアチューレ 道の駅温泉
450円 10:00〜21:30 休:水 電話(0574)75−2146
下呂市の南、飛騨川が美濃に入り、加茂郡白川町から七宗町まで12kmにわたって続く峡谷です。両岸から険しい断崖が迫り、並行する国道41号線やJR高山本線からでも深い谷の底が見えません。JRの車窓からは一瞬だけ全景を見ることができますが、飛騨川が削り取った黒々とした岩肌がむきだしになり、狭い岩間を激流が走って、すごい威圧感があります。
飛水峡の特徴は日本有数の甌穴(ポットホール)と呼ばれる岩の窪みです。激流でえぐられた岩の穴で、中には最大4、5mの深さのものもあり、無数に開いています。
JR沿いに飛水峡ロックガーデンまで足を伸ばすと、列車から見える飛水峡のハイライト部分を目にすることができますが、訪れる人も少なくかなりの穴場です。手すりも何も無い峡谷の先端まで岩場を行きますが、水面ははるか下で、かなりの高度感です。
|
国道41号線沿いに「道の駅七宗」があり、その裏手からも飛水峡が眺められます。道の駅に併設された「日本最古の石博物館」は、飛水峡で発見された日本最古の岩石を展示しています。 |
加茂郡八百津町は、木曽川の中流部が険しい峡谷を抜けて濃尾平野に出る場所に位置しています。かつて木曽川を利用した木材集積と水運で栄えた港町で、日本酒の蔵元が3軒、せんべい生産で全国シェア8割を誇る八百津せんべい、八百津が発祥の地といわれる栗きんとんなど、良質の水と原料に恵まれた特産品があります。
|
八百津市街を北に約5q進んだ山間にある三段の滝で、高さは80mもあります。
江戸時代のはじめ、京都で禅修行に励んでいた剣豪・宮本武蔵は沢庵禅師の命を受け、八百津・大仙寺の住職であった愚堂国師を訪ねます。宮本武蔵は愚堂国師に従って禅を学び、五宝の滝と近くの二天の滝で剣術修行を行ったと伝えられています。
武蔵渓谷と名付けられた峡谷沿いの遊歩道を歩くと滝の中ほどに赤い橋が架かって印象的です。 |
木曽川の中流、丸山ダムから蘇水峡橋までの1.5qの峡谷が蘇水峡です。
断崖絶壁の間を水量の多い木曽川がごうごうと流れ、迫力がありますが、新丸山ダム建設工事に伴い、遊歩道などへは近づけないようです。
丸山ダムは昭和29年(1954)に完成した高さ96m、長さ265mのダムで、木曽川の峡谷には蘇水湖が生まれました。現在は手前に丸山ダムごと飲み込む新丸山ダムが計画されています。
明治44年(1911)に木曽川初の水力発電所として建設された八百津発電所の建物は、平成10年(1998)産業遺産として国の重要文化財に指定され、当時の発電機や水力発電の仕組みなどを展示した旧八百津発電所資料館になっています。
9:00〜16:00 休:月 300円 電話(0574)43−3687
八百津市街を見下ろす山の上に、芝生広場と人道のモニュメント、杉原千畝記念館の建つ「人道の丘公園」があります。八百津町で生まれ、戦時下に6千人のユダヤ人の命を救った外交官・杉原千畝を記念した公園です。
園内の杉原千畝記念館には彼の生い立ちや、当時の社会・政治情勢を伝える資料、領事館を退去させられる際に、列車の中でまで手書きで発給し続けたビザなどが展示され、命を救う決断を下した領事館の執務室が再現されています。
9:30〜17:00 休:月 300円 電話(0574)43−2460
第2次大戦下の欧州で、ナチスドイツの迫害から逃れたユダヤ人に日本通過ビザを発給して6千人の命を救った外交官・杉原千畝は八百津町の出身です。
明治33年(1900)、一般家庭に生まれた杉原千畝は、外務省ロシア語研修生として満州に赴任し、ソ連を相手に北満鉄道交渉で辣腕を発揮します。あまりに手強いため、ソ連政府から駐モスクワ日本大使館赴任を拒否されるほどでした。
昭和14年(1939)東欧リトアニアのカウナスに日本領事館が開設され、杉原千畝はソ連情勢を探るために領事に赴任します。その頃、ナチスドイツの迫害を逃れたユダヤ人が、隣国リトアニアに殺到していました。
ユダヤ人への対応について、ナチスドイツの同盟国であった日本政府は態度を曖昧にします。悩んだ末に、命令に背いても人命を助けることを決めた杉原千畝は、1940年7月から昼夜を問わずユダヤ人にビザを発給しました。
しかし、1ヶ月後にはソ連軍が独立国リトアニアに侵攻・併合しました。ソ連軍は彼に退去を命じますが、それでも列車が動き出すまで手書きでビザを書き続けました。戦後、捕虜生活を経て帰国した杉原千畝は、独断でのビザ発給を咎められ、外務省を解職させられます。
しかし、彼が助けたユダヤ人がイスラエル政府要職につき、1968年日本に命の恩人を訪ねたことがきっかけになって、人道の外交官として有名になりました。イスラエルからさまざまな賞を得て1986年に亡くなっています。
八百津町東部に広がる標高500mの潮南高原は、遠く伊勢湾まで見渡せる山村で、山の幸などを並べた産直市場もあります。
かつて木曽川の深沢峡に沿って八百津町と恵那市を結ぶ国道418号線は、観光客で賑わった時代もありましたが、土砂崩れにより通行不可能な「酷道」と呼ばれるようになり、新丸山ダム工事を契機に潮南高原にルート移転しました。
その国道418号線バイパスに架けられた新旅足橋は、長さ462mに対して谷底からの高さが200mもあり、日本有数の橋梁です。歩道から旅足川を見下ろすと、あまりの高度感にくらくらしそうになります。現在、バイパスは潮南高原で行き止まりですが、この橋自体が観光ポイントになっています。
可児郡御嵩町と瑞浪市、土岐市が交わる可児川の上流に、巨大な花崗岩が数千万年かけて浸食された奇岩怪石が織りなす絶景ポイントがあります。
平安時代末期、関の太郎と恐れられた悪党が岩山を根城に東山道を荒らし、後白河法皇の命を受けた武士・纐纈源吾能康によって討ち取られました。鬼のような悪党と、奇怪な景観が重なって「鬼岩」と呼ばれるようになったと伝わります。
岐阜市と土岐市をつなぐ国道21号線の鬼岩ドライブインから国道を渡ると、平岩川に沿った渓谷ルートと、両岸の巨岩を渡り歩く稜線ルートが2つ、計3本の遊歩道が延びています。どれも距離は長くありませんが、稜線ルートは高低差が大きく急峻です。
公園のメインであった岩屋くぐりは台風で荒廃して現在は閉鎖されており、巨石のごろごろした渓谷を進むと終点に一周8qの松野湖があります。両岸にそびえる岩の稜線に登るルートがあり、展望岩、臼岩、蓮華岩などと名付けられた高さ100mもの花崗岩の上に立つと、足元まですっぱりと切れ落ちるスリルを味わえます。
眺めは最高ですが、柵は一切ないため、安全に注意しましょう。
|
鬼岩公園の入口にある旅館数軒の小規模な温泉地です。泉温17℃・硫黄化水素放射能泉。
傷ついた白鷺が湯あみをしているのを僧侶が見つけた開湯伝説があります。 |
約800年前の平安時代末期、可児川上流の岩山に関の太郎という悪党が住み着き、東山道を通る旅人を襲って「鬼人」と恐れられていました。
京都の後白河法皇は武士・纐纈源吾能康に鬼人退治を命じ、彼は勇んで可児の里に赴きます。願興寺の祭りに関の太郎が来ることを聞いた纐纈源吾は、あらかじめ村人の手に墨を塗っておき、変装してやってきた太郎を見破りました。
手に墨のない太郎を見つけると、盛んに酒を勧めて酔いつぶれさせ、のこぎりで首を切り落としました。その首を大櫃に入れて京都に送ることになり、村人数人がかりで担ぎましたが、とても重くて運べるものではなく、蓋を開けると太郎の首が目を見開いて睨んでいたので、恐ろしくなってその場に埋め、太郎の首塚と名付けたといいます。
|
|