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下呂市馬瀬は清流・馬瀬川が全域を貫いて流れる森と水の里。
全国の鮎釣りファンが憧れる馬瀬川と、緑あふれる水源の山々は、水を巡る自然環境、歴史文化が優れた地域として、「全国水の里百選」や「水源の森百選」、「美しい村連合」、「平成の名水百選」などに選ばれています。また、2003年には、世界中から美しい街づくりに取り組んでいる都市や農村を選ぶ「ネイション・イン・ブルーム2003」で銀賞を受賞しました。
豊かな自然と調和した美しい山村風景を次世代に伝えるため、馬瀬地区は全域が「馬瀬地方自然公園」として、住民と行政が一体となった地域づくりを進めています。
馬瀬川の鮎は、味、香り、形がよいことで有名です。平成19年に「全国利き鮎会INTOKYO」でグランドチャンピオンに輝きました。これは、高知県で行われる全国利き鮎会が10周年を迎えたことを記念して、同大会の暦年チャンピオン・サブチャンピオン17河川から全国一を決めた大会です。
馬瀬川の日本一の鮎と、日本で最も美しい村には深い関係があります。
馬瀬地域では、森林面積の26%を占める広大な水源の森が「渓流魚付き保全林」に指定されています。森から流れる山水は、丹精込めた棚田を潤して馬瀬川に流れ、コケを育てます。滋味豊かなコケをたっぷり食べて鮎が育ちます。
こうした、森と川と農地、人の農村生態系を「馬瀬川エコリバーシステム」と呼んでおり、全国からも注目されています。
馬瀬川の初秋の夜の風物詩が「火ぶり漁」です。鮎が光や音に驚いて逃げる習性を利用して網に追い込む伝統漁法で、山峡にかがり火が燃え、川猟師たちの「ホーホー」という掛け声が響いて幻想的な絵巻を繰り広げます。
馬瀬地域の自然と生活の関わりを、多くの人々に知ってもらうため「清流馬瀬川火ぶり漁」として、地元有志が手作りで観光プログラム化を図っています。
不定期開催。馬瀬地方自然公園づくり委員会(0576)47−2111
泉質:アルカリ性単純温泉(PH9.98) 泉温:31℃
馬瀬地区の南端、西村にある温泉は良質なアルカリ性温泉です。PH9.98と驚きの高濃度、すぐに肌がツルツルするのが分かります。高台のホテルに併設された立ち寄り温泉施設「美輝の里」と、馬瀬川を望む河畔の足湯と川床があります。
「美輝の里」は15種類ものお風呂が広い内湯と露天にあり、全部入ろうとすると1時間くらいでは足りません。ぬる湯、桧風呂の深湯、寝湯、気泡湯、運動浴、サウナだけでも箱蒸し、ドライサウナ、ミストサウナ、釜風呂とバリエーション豊かです。軽食コーナーがある休憩室も広いので、お風呂だけで1日楽しめます。
ホテル・スパー美輝 10:30〜21:30 700円 不定休 (0576)47−2641
ホテルの下にある「道の駅・馬瀬美輝の里」は日本一小さな道の駅。運営はすべて地元の女性グループが取り仕切り、新鮮な地元野菜や食材が手に入る「さんまぜ工房」では、手作りパンや四季折々の郷土料理も販売しています。
道の駅には川べりの足湯と川床が併設されています。さわやかな川風が吹きよせる広い石組みの川床からは、日本有数の名川・馬瀬川と、周囲の山々を一望でき、開放感たっぷりです。良質の温泉を自宅で楽しめる温泉スタンドもあります。
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馬瀬川温泉の近くにある釣りと川遊びの総合センターです。観光情報や釣り情報の提供、用具レンタルを行う馬瀬川情報館を中心に、馬瀬川に下りて水遊びができる親水エリア、バーベキューコーナー、魚つかみ捕りの池などがあります。
また、水辺の館で行われるそば打ち、豆腐作りなど田舎体験や鮎かけ、釣りなどの各種教室、ラフティングボートの川下りや、地元でも知る人が少ない秘境・不動明王の滝への沢登りツアーなどアクティビティも用意されています。 |
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水辺の館の管理人・ロッキー大崎さんは、フランスアルプス地方でガイドを務めたプロ。馬瀬の人と自然にほれ込んでやってきました。
外国人向けツアーの開催や、日本でも珍しい冒険アクティビティ・森林ベンチャーなどを展開しています。 |
4月〜11月 9時〜5時 (0576)47−2841
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馬瀬地域の北端、高山市清見町のせせらぎ街道につながる国道257号線の川上トンネルから少し入った場所にあります。
ブナの森が広がる山峡を馬瀬川が流れ、巨岩に囲まれた青い淵や深山滝が秘境の雰囲気たっぷりです。道路の対岸にコテージが並ぶキャンプ場があり、川遊びやハイキングの拠点になります。
下流にはカオレオートキャンプ場があり、こちらはAC電源、温水シャワー、コインランドリー完備です。
老谷ささやきキャンプ場 電話(0576)47−2904
カオレオートキャンプ場 電話(0576)47−2577 |
かつて飛騨の川では、動物性蛋白源として川魚を捕っていましたが、趣味の魚釣りや商売としての川漁は見られませんでした。一方、江戸時代から職業の鮎漁が盛んだった静岡県伊豆地方・狩野川の漁師たちは、交通が発達した大正時代初め頃から全国の河川に鮎の友釣り技術を持って出稼ぎ漁に出かけます。
大正11年(1921)伊豆の天才鮎漁師・山下福太郎が長良川にやってきました。やがて彼は馬瀬川、飛騨川沿いに定住します。全裸で川に潜って鮎を観察し、おもむろに友釣りを行う強烈なスタイルは地元の注目を集め、農家の現金収入として鮎釣りの教えを乞う人々が殺到しました。山下が考案した「山下竿」を学んだ職人たちは、長良川で「郡上竿」を発達させました。
戦後の長良川、馬瀬川、飛騨川では山下の釣り弟子たちが川漁で生計を立て、鮎の友釣りブームでやってきたお客たちで民宿も賑わいます。しかし、ダムや河川工事、多すぎる釣り客は天然ものを激減させ、川漁師も姿を消し、漁協は放流魚に頼ることになりました。山下は脳溢血に倒れ、愛してやまない川が変貌する頃、三重県小杉谷に住まいを移してひっそりと息を絶ちました。
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