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飛騨の南端、南からの玄関口にあたるのが下呂市金山町です。
飛騨国益田郡と美濃国武儀郡、郡上郡、加茂郡の町村が合併してできた町で、江戸時代には天領、尾張藩、郡上藩、苗木藩、旗本領などが複雑に境を接していました。
徳川御三家・尾張藩領が周囲の領地を侵食するため、境界線争いで無念を飲んだ小藩の武士が切腹した、などの歴史エピソードが多く残されています。
また、鮎釣りで有名な飛騨川と馬瀬川が流れ、東海の水がめと称される岩屋ダムを有する水源の町で、春の女神「ギフチョウ」の発見地・生息地でもあるなど、豊かな自然が残っています。
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下呂市で最も注目されているパワースポットです。
金山町の奥にある岩屋ダム堰堤の下に妙見神社があります。妙見神社の境内には森の中に巨石群が折り重なるように林立し、縄文時代の岩屋岩陰遺跡も発掘されるなど、不思議な雰囲気が漂っています。
岩には人工的な加工の跡が認められ、古代の巨石信仰を示す貴重な遺跡ですが、どのように利用されていたのかなど、謎に包まれています。 |
金山巨石群の折り重なった岩の間からは、夏至と冬至に太陽の光が差し込むことから、古代人が人工的に巨石を配置して暦を観測した場所だとして注目されています。
遺跡内には展示室があって、太陽観測を解説しています。
民話では、平治の乱で敗れた源義平が再起をかけて飛騨で兵を募っていた際に、村人を苦しめる狒々の話を聞き、生贄の娘に扮して狒々を誘い出すと山中の岩屋に追い詰めて成敗した場所だといわれます。狒々退治に使われた源義平の刀は祖師野八幡宮に奉納され、祖師野丸と呼ばれて現在に伝えられています
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金山町祖師野地区にある古社です。
源平合戦の頃、源義平により創建されたと伝えられ、郡上踊りにも歌われています。馬瀬川に臨む境内には古木が茂り、パワースポットとして注目されます。 |
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飛騨川で最も大きな支流・馬瀬川に、昭和51年(1976)に完成したロックフィルダムです。
岩や粘土を組みあげた堤防は高さ127m、長さ366mと巨大なものです。ダム湖は東仙峡金山湖と名づけられ、特に紅葉の名所として有名です。 |
通年営業
電話:(0576)33−2990
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東仙峡金山湖の上流、弓掛川沿いのキャンプ場。
ダム建設で離村した集落がそのままキャンプ場になっており、100人以上が合宿できる旧小学校や、古民家、バンガローやオートキャンプサイトがあります。
場内を流れる弓掛川は、夏でも冷たい清流で、水遊びや魚釣りが楽しめます。また、キャンプ場からブナの原生林を抜けて簗谷山(1213m)に登るトレッキングコースからは、御嶽山や北アルプスが眺められます。 |
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白滝
落差20m |
二見滝
落差10m |
紅葉滝
落差8m |
鶏鳴滝
落差33m |
馬瀬川の支流である横谷川の流れを囲むように広がるV字谷が横谷峡です。
荒々しい岩とおおらかに枝を伸ばす木々との自然のコントラストが美しく、そんな景色を眺められる散策路が設けられています。
四つの滝入口から続く舗装道路を辿ると、白滝、二見滝、紅葉滝、鶏鳴滝という4つの滝があり、それぞれに個性的な表情を楽しむことができます。
国道41号線から国道256号線に入って1kmの場所にある立ち寄り温泉です。
8種類の風呂を備えた温泉館の「ゆったり館」と、国道をはさんで向かい合う宿泊施設を併設した道の駅「かれん」があります。少しぬるめのアルカリ性単純温泉で肌がすべすべになります。
ゆったり館 10時〜21時 休:水 400円 電話:(0576)33−2492
道の駅かれん 7時〜9時 11時〜21時 休:第3木 450円 電話:(0576)32−4855
泉質:アルカリ性単純温泉 泉温:43℃
飛騨と美濃が境を接する金山町には、網の目のように路地と水路、いわゆる「筋骨」が張り巡らされています。昭和時代のノスタルジックあふれる街並みを地元のガイドさんに案内されて歩くのが「飛騨街道筋骨めぐり」です。
古代の両面宿儺伝説の地・鎮守山や、廃業してから時間が止まったままの銭湯、豪華絢爛な遊郭跡の建物など、何気ない街角にも歴史があります。
あちこちに豊かな湧水を利用した共同水屋があり、岐阜市の鰻専門店が鰻を養殖している湧水もあります。また、昔ながらの和菓子店、天ぷら店、豆腐店、酒蔵での食べ歩きも楽しみです。
ガイド料:1人300円 金山町観光協会 電話:(0576)32−3544
「奥飛騨」「初緑」を醸造する飛騨金山の蔵元です。
卯建を上げた重厚な町家造りの玄関は酒造資料館になっており、店の奥に続く酒蔵は予約をすれば見学可能です。筋骨めぐりのゴールなので、ガイドツアーに参加しても見学と試飲ができます。
高木酒造 電話:(0576)32-2033
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国道41号線の西側にある臨済宗の禅寺です。
奈良時代の名僧・行基によって開山されたと伝わりますが、戦国時代に飛騨を平定した金森長近が、飛騨国の南の要衝として現在の伽藍を再興しました。
境内にはひときわ目を引く銀杏の大木のほか、百本を超える紅葉が植えられて「もみじ寺」と呼ばれ、秋には紅葉狩りの人で賑わいます。 |
今から900年もの昔、京都の御所には不思議な金の鶏が宝物にされていました。
インドで作られ、日本に伝わった金鶏は、毎年の正月になると御所の屋根に飛び立って声高く新年を告げるのです。天皇は、一番器量のいい官女にこの金鶏を大切に世話するよう言いつけていました。ある年、都で戦乱が起こったとき、金鶏は燃え盛る都を後にいずこへか飛び去っていってしまいました。
大切な金鶏を失って悲しむ天皇を案じた官女は、比叡山に籠もって一心不乱に念じていると、観音菩薩が現れて、 「都から東へ向かうと飛騨の国の入口に大きな滝がある。そこで願いを叶えよう」
とおっしゃいました。官女は旅支度もそこそこに、東へ向かって歩きはじめました。その年の暮れ、ようやく飛騨の国へ近づいた官女は、深い谷にかかる大きな滝を見つけました。官女が冷たい滝つぼもいとわずに水に入り、一心不乱に念仏を唱えました。すると、探していた金鶏が大きく空を舞い、観音菩薩の姿が現れました。あの金鶏は観音菩薩の化身だったのです。
一刻も早く都の天皇にお知らせしなくては、官女は急ぎましたが、長旅の無理がたたって病に臥してしまい、ついに麓の村で亡くなってしまいました。不憫に思った村人たちはお墓を建てねんごろに供養しました。
それ以来、官女のことを誰言うとなく「黄金姫」と呼ぶようになり、あの滝音に耳をすませると、どこからか鶏の声が聞こえるとして「鶏鳴滝」と名づけられるようになりました
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