下呂市小坂町は御嶽山のふもとに広がる林業の町です。
清流・小坂川の支流が流れる山峡には、500年の歴史を誇る湯屋温泉と、景勝地・巌立峡に近い下島温泉があり、御嶽山中腹の濁河温泉とあわせて、国民保養温泉に指定されています。
御嶽山の大噴火で溶岩が流れ下ってできた巌立峡には険しい岩壁に滝が流れ落ちて遊歩道を歩けば夏でも寒いほどの水しぶきを浴びます。
濁河川と兵衛谷の合流地点にそそり立つ大岩壁が県の天然記念物「巌立」です。
約5万年前に御嶽山が大爆発を起こしたときに、溶岩が濁河川の谷間を流れ下り、延々15kmにも及ぶ溶岩台地を形成しました。溶岩流の先端部分が冷えて固まったのが巌立で、高さ72m、幅120mの大きなものです。
駐車場や売店のある巌立公園の展望台からは、迫力のある巌立の姿を間近に眺められます。春の新緑や秋の紅葉が特に美しく、4月に「滝開き」、10月には「紅葉まつり」も開催されます。また、紅葉時期と、厳冬の巌立が凍りつく時期にはライトアップも行われます。
駐車場から階段を下り、谷間に沿って遊歩道を600mほど行くと、巌立峡の観光スポットである「三ツ滝」です。高さ22mを3段に分かれて豪快に落下する滝は水量豊富で、すぐ脇を鉄製の階段で上るため、吸い込まれそうな迫力があります。
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電話:(0576)62−2911
泉質:炭酸泉 泉温:18℃
効能:飲浴両用で消化器病、皮膚病、肝臓病、神経痛、腰痛、リウマチ、痛風、貧血
下島温泉は巌立峡の入口、濁河川の清流に臨むひなびた温泉地です。
御嶽山溶岩流の最末端が、尖った奇怪な岩峰となってそびえています。その直下が旧御嶽山登山道一合目で、一之鳥居や休憩所、岩の門などがあって当時の雰囲気を残しています。県指定天然記念物「巌立」まで、岩間に囲まれた旧登山道の「くらがり八丁」を通る散策が楽しめます。
古くから外傷によく効く「傷湯」として知られ、飲用しても効果があります。現在2軒の温泉旅館と、立ち寄り湯「巌立峡ひめしゃがの湯」が営業しています。
10時〜21時 600円 休:年4回 電話:(0576)62−3434
飛騨小坂郷土館と県道をはさんだ斜面には、森の中に、コテージや木製のアスレチック施設、127mの大滑り台がある「ウッディランドふれあいの森」が広がっています。
コテージは木の温もりが感じられるログハウスで、キャンプをしながら陶芸やガラス細工、ステンドグラス教室なども体験できます。
キャンプ場からひめしゃがの湯へは専用サイクリングコースを自転車で行けます。
4月〜11月 電話:(0576)62−2910
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湯屋温泉の入口にあり、旧家・清原家の屋敷を公開しています。
清原家は文政年間(1818〜30)に建築された大型の民家で養蚕を主としていました。柱や材木はすべてがヒノキ、梁にはカツラが使われていて、曲がった材が一本も使用されていません。これは木の国飛騨でも滅多に無い貴重なものでした。
内部には山里の生活を伝える道具などが展示されています。
9時〜16時 200円 土日祝営業
電話:(0576)62−3610
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昔むかし、大晦日の清原家で、女中がうっかり先祖伝来の火種を消してしまいました。 慌てた女中が火を点けに暗くなった外へ飛び出すと、そこに橇を曳いた武士の一行が通りがかりました。女中が松明の火をもらえないかと懇願すると、武士たちは大雪の中を曳いてきた筵包みの木箱を置いて、
「火を分ける代わりに、これを正月15日まで預かってほしい。ただし、内密のことゆえ、覗き見ることはもちろん、預かっていることも他言ならぬぞ」
と言い残し、慌ただしく立ち去りました。
不審に思った女中が筵に包まれた木箱を子細に眺めると、それは死人が入っている棺だったのでした。青くなった女中は棺を隠しましたが、頭の中は武士たちから報復されるかもしれないとの恐怖でいっぱいです。
年が明けてしばらく過ぎ、女中の様子がおかしいと感じた主人が問いただし、女中は棺を隠したことを打ち明けました。正月15日が明けても武士たちは現れず、棺を開けてみると、中には黄金がぎっしり詰まっていました。
ますます清原家は栄えたそうです。
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泉質:炭酸泉 泉温:15℃
効能:胃腸病、リウマチ、高血圧症、更年期障害
開湯は室町時代、薬師如来に導かれた武士によって発見されたと伝えられ、500年の歴史を持ちます。かつては桃林に囲まれた別天地であったことから、桃源温泉とも呼ばれていました。 |
小坂川の支流、大洞川沿いの山峡に7軒の旅館が点在しています。
胃腸に対する効能が高く、古くから湯治場として知られました。炭酸の含有量は日本一を誇り、かつて源泉をつめたサイダーが販売されていたほどです。いまでも温泉街には飲泉場があり、自由に源泉を飲むことができます。源泉を利用した鉱泉粥が名物で、レトルトパックの鉱泉粥も販売されて人気を集めています。
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湯屋温泉では古くから、寒の入りから節分の間に鉱泉粥を食べると無病息災でいられるという言い伝えがありました。温泉街にある富士神社では、寒に入った最初の日曜日に「寒粥まつり」が行われ、参拝者に湯屋温泉名物の鉱泉粥が振る舞われます。また、鉱泉粥は、現在では各旅館で1年中出しています。 |
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昔、美濃の武士、奥田孫左衛門は薬師如来を信仰していましたが、風邪をこじらせて寝込み、医者も見離すような重病になってしまいました。
病に臥せっている孫左衛門の枕元に薬師様が立ち、
「東方に深い山あいの里があり、美しい桃林がある。そこには霊泉が湧き出ているので、身にも浴び、口に服せば 病脳必ずや平癒するだろう。」
と告げられました。
喜んだ孫左衛門は、手を尽くして山里を訪ね歩き、ついに飛騨の国小坂までやってきました。川べりには桃の大木が美しい花を咲かせ、その元から霊泉がこんこんと湧き出ていました。
霊泉をありがたく汲んで、身にも浴び、口に含むと、不思議なことに数日もしないうちに孫左衛門の病気は治ってしまいました。それで、孫左衛門は湯屋へ移り住んで薬師如来を祀り暮らしました。
湯屋温泉の評判は年々高まり、遠方からも薬師如来の霊泉を頼って湯治に訪れる人が絶えませんでした。 |
長瀬地区にある「古子の紅梅」は、大変珍しい八重咲きの紅梅です。
推定樹齢700年といわれ、何度かの傷を受けた跡がありますが、まだ元気に花を咲かせます。
ここから御嶽山の眺めもよく、4月中旬には、まだ純白の御嶽山と紅梅が絶妙なコントラストを見せてくれます。
昔、萩原町宮田の藤ヶ森観音堂の辺りには大きなお寺があったんやと。
その山門には、運慶作と伝えられる立派な仁王像が立ってござったが、お寺が火事で焼けてまった時に、仁王像も焼けて黒焦げになってまった。
あとまたじに困った村の衆は、真っ黒な仁王像を飛騨川まで動かいて、「仁王様よ、精があるもんなら川上へ流れてみよ」、そう言ってどぼーんと投げこんだんやさ。 そしたら、不思議なことに、真っ黒な仁王像は流れに逆らってするすると川を上っていかさった。もう村人の驚いたのなんの。
ある晩、飛騨川上流の小坂村に住んどる小太郎という若者の夢に、仁王様が現れて、「小太郎よ、わしを助けてくれたら、大きな力を授けるぞ」とお告げになった。何日も続けて同じ夢を見るもんで、気になった小太郎が飛騨川の淵へ下りていってみると、やっぱり大きな黒焦げの仁王像が浮かんでござった。
弱ったこっちゃさなあ、こんな大きなものを持てるかなあ、そう思ったけど、仁王像に手をかけると、あら不思議、軽々と持ち上がったんやさ。小太郎は仁王像を小坂の観音堂へ運んで安置した。
それが、長谷寺の山門にある仁王様や。小太郎は夢のお告げどおり怪力を授かって、ばりばり働いたそうや。
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