|
濃尾平野、名古屋辺りからは、冬のよく晴れた北の空に真っ白な御嶽山がひとりそびえているのが、電車の窓からもよく分かります。それは東京で富士山が見えたときのような感動があります。
御嶽山の美しい山容は、古くから人々の信仰の対象となってきました。信州側では木曽谷の象徴になり、御嶽教信者の集う日本三霊山「木曽御嶽山」の通称で知られています。飛騨側でも、古い峠道や、里山の頂上には御嶽山遥拝所の名残があり、素朴な信仰があったことを伝えています。
御嶽山は、富士山、白山、立山などと並ぶ信仰の山で、日本三霊山のひとつに数えられます。
御嶽山の開山は、今から約1300年前、七世紀初め頃といわれ、その後も信濃国司が山頂に神社を建立したり、後白河法皇が勅使を登山させたりしました。室町時代からは、修験道の行者による信仰登山がさかんになりましたが、当時は75日間にも及ぶ精進潔斎と厳しい滝行をこなした者にのみ許された登山でした。
天明5年(1785)、御嶽信仰を広く一般の人々に開きたい、と願った尾張の覚明行者は、神官たちの反対を押し切って水行のみの軽潔斎で御嶽山に登拝し、黒沢口を開きました。その翌年、覚明行者は飛騨口を開くべく、小坂から御嶽山を目指しますが、山中で亡くなりました。飛騨側は山が深く、信仰登山は一般化しませんでした。
寛政4年(1792)江戸の普寛行者が王滝口を開き、関東中心に御嶽信仰を広めました。こうして、尾張名古屋を中心にする黒沢口の御嶽講と、関東を中心にする王滝口の御嶽講が発展し、現在の御嶽教の山ができました。
|
|