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乗鞍岳日影平歩道は、乗鞍岳剣ヶ峰から南西に延びる千町尾根を行く14kmのロングトレイルです。千町尾根は太平洋と日本海の分水嶺になっており、南に御嶽山と西には白山を眺める好展望に加え、どこまでも続くハイマツ樹海や、針葉樹林に囲まれてひっそりとたたずむ千町ヶ原の高層湿原など、知られざる魅力にあふれています。
乗鞍岳のクラシックルートとして、山麓の集落から幾つも山岳信仰の道がつけられ、戦前から登山者に親しまれてきました。その後、乗鞍岳の観光地化とともに、歴史ある千町尾根ルートも廃れてしまいましたが、高山市日影平にある国立乗鞍青少年交流の家から剣ヶ峰までの登山道や避難小屋が整備され、朝日町からの青屋古道も地元有志によって復活しました。
一方で、マナーの悪い登山者や遭難騒ぎをきっかけに、最短アプローチで人気のあった子の原高原ルートが高原管理者によって閉鎖されました。再び千町尾根は14kmから20kmもの距離を歩きとおす者だけがわずかに入山する厳しい道に戻りました。
現在の千町尾根ルートはハイマツや笹の薮こぎを強いられ、また、道標やペンキのマーキングも少ないため、悪天候時に道迷いの恐れがあります。それでも、人跡稀な長大なハイマツ樹海と高層湿原を行く孤高感は何ともいいがたい魅力があり、まるで北海道の山を歩いている気分になります。
ここでは、果てしないとさえ思われる針葉樹林尾根と、交通が不便な青少年交流の家に下りる千町尾根後半をカットし、標高3026mの剣ヶ峰から2350mの奥千町ヶ原を往復する片道6km、往復12kmの探勝ルートを紹介します。
畳平→剣ヶ峰 1:30 / 剣ヶ峰→畳平 1:00 |
夏山シーズンの御来光バスは乗鞍岳畳平に4時半に到着します。朝なるべく早いバスを使えば、奥千町ヶ原往復は楽に日帰り可能です。また、乗鞍山上で宿をとって夕日と御来光を楽しむか、奥千町避難小屋で静かな一夜を過ごせば、より乗鞍岳の魅力を感じることができます。
畳平バスターミナルからの作業道は不消池の脇を通り、肩の小屋から本格的な登山道に変わって乗鞍岳本峰に取り付きます。剣ヶ峰へは畳平から約1時間30分の行程で立つことができます。天候をよく確認して、千町尾根に踏み出しましょう。
剣ヶ峰→奥千町 2:00 / 奥千町→剣ヶ峰 2:30 |
乗鞍岳剣ヶ峰の山頂手前から千町尾根ルートは始まります。
山頂直下の頂上小屋を過ぎて信州側の祠に至る手前に、よく注意するとペンキのマーキングが見え、規制ロープをまたいでガレ場に下りていく道があります。剣ヶ峰山頂からは西の大日岳との鞍部に道標が見えますが、このマーキングを見落とすと、山頂で降り口を探してうろうろするはめになります。
剣ヶ峰から御嶽山を眺めつつ高天原のドームを目指して足場の悪い道を下ります。
大日岳との鞍部には岐阜県と環境省の道標が立ち、日影平14km、乗鞍岳0.1kmとあります。こののち500mおきに立派な道標がありますが、できれば道の不明瞭なポイントにもっと多くの標識がほしいものです。
権現池を見下ろす鞍部にはコマクサの群落など高山植物のお花畑が広がり、ほんの少し離れただけなのに山頂の喧騒から離れた不思議な静寂に包まれています。
乗鞍岳第2峰の大日岳は立入禁止のロープ規制があり、同じく高山植物保護のために立入禁止になっている高天原のドームを左手に見ながら、大日岳を巻いて下ります。
次に2ヶ所のガレ場を横断します。落石が不規則に積み重なり、ペンキのマーキングもなく迷いやすい場所です。浮石に注意して、慎重にルートファインディングしながら、ガレ場の向こうにある登山道を探します。
ガレ場を通過してほっと一息つく場所に、素敵な高山植物のお花畑があります。道の両脇を花々が囲み、高山蝶が飛び交う別天地です。乗鞍岳本峰を離れ、巨石が積み重なった皿石原を過ぎると南方向が切れ落ちた崖縁に出ます。
南には扇を広げたような御嶽山が中空に浮かび、西には幾重もの飛騨の山波の向こうに白山が優美な姿を見せています。道端の地蔵を過ぎてハイマツ尾根に突入し、人の背丈ほどもある枝が道に覆いかぶさるなかをハイマツ漕ぎして進みます。
両手で払いのけた枝がザックにまとわりつき、腰やザックに取り付けた小物を引っ掛けて行く手を阻みます。難儀しながら広大な台地に辿りつくと、ハイマツは低くなり、きれいに敷き詰められた石畳にコケモモなどの地衣植物が広がる畳石原です。
高根・阿多野郷登山道との合流場所は乗鞍岳本峰を背に地蔵が立ち、中洞権現と呼ばれています。剣ヶ峰から中洞権現まで約1時間、ルートはケルンを目印にハイマツ樹海に入りますが、見落として中洞権現の台地を直進すると道を失います。
広い場所だけに悪天候やガスに巻かれた時には注意が必要です。
小さなコブを越えてストンと高度を落とし、ゆるやかなハイマツ尾根の稜線漫歩を楽しみながら進むとまた小さなコブを越えて高度を落とす、という繰り返しで、千町尾根を淡々と歩いていきます。
剣ヶ峰から見たときは芥子粒のように小さかった奥千町避難小屋の屋根が次第に大きくなり、針葉樹林に囲まれた奥千町ヶ原の湿原も分かるようになります。
南西には池を中心にした子の原高原の無印良品キャンプ場の様子が手に取るように見えますが、こちらは現在登山者の立ち入りが禁止されています。千町尾根ルート後半に立ちはだかる丸黒山ははるかに遠く、ゴールの国立乗鞍青少年交流の家はさらに遠くにかすんでいます。
やがて、ぽつぽつと背の低い針葉樹がハイマツ樹海に現れだし、道の整備状況はさらに悪くなります。登山道にかぶさるハイマツと、足元を覆うチシマザサは刈り払いされた跡がなく、枝葉に隠された道を探しながら進むと、朝露に濡れた枝葉がズボンにびしびし当り、スパッツをつけてもぐっしょり濡れてしまいます。
ハイマツ樹海最後のコブを越えて急坂を下り、針葉樹林帯に突入します。森林のなかの笹原を薮漕ぎしつつ高度を落としていきますが、ぬかるんだ泥道の脇にこんもりした黒いフンの塊が現れ、熊の気配を感じて緊張する場所です。
中洞権現から1時間半ほどでぱっと森林が開け、木道が敷かれた奥千町ヶ原の高層湿原に到着します。乗鞍岳をバックに、背の低い針葉樹に囲まれた池塘が点在する奥千町ヶ原は、乗鞍岳や御嶽山を借景とした自然の庭園を思わせる別天地です。
地元には山の精霊が景色の美しさの虜になってさ迷い歩いたという伝説があり、人間の世界ではない、という畏敬を込めて湿原の池塘を精霊田と呼んでいました。
きれいなログハウスの奥千町避難小屋が建ち、快適な一夜を過ごせます。
日影平の国立乗鞍青少年交流の家や、青屋集落から乗鞍岳を目指す場合はここで一泊しますが、千町尾根には水場がないので持参することになります。
また、子の原高原から上り3時間、下り2時間の登山道が奥千町ヶ原で合流していますが、現在は立入禁止であり、昭文社エアリアマップからも抹消されています。
奥千町ヶ原はゆっくり過ごしたいところですが、剣ヶ峰からここまで距離6km、標高差にして700mを下ってきた千町尾根をまた上り返すため、時間を気にしつつ元来た道を引き返します。ちなみに、下り道ではハイマツ漕ぎに悩まされますが、上りにとると枝葉にそれほど邪魔されず、千町尾根には急激な坂道が少ないので比較的楽に戻ることができます。
奥千町→丸黒山 3:00 / 丸黒山→奥千町 4:00 |
標高3026mの乗鞍岳剣ヶ峰から標高1500m日影平の国立乗鞍青少年交流の家まで歩きとおすルートを紹介します。
千町尾根のハイマツ樹海を歩いて森林限界の奥千町ヶ原に来ると、このコースも一段落と思ってしまいますが、実は千町尾根はここから先の樹林帯が長大で、時間もかかります。ただ、奥千町より規模が大きな千町ヶ原の湿原もこの先にあり、つらい道のりをなぐさめてくれるはずです。
避難小屋のある奥千町ヶ原を出発し、乗鞍岳を背に再び針葉樹林に突入します。林間に小湿原が点在するぬかるんだ泥道を下っていくと駒の鞍の小ピークを過ぎ、広い台地の上に千町ヶ原の湿原が開けます。さっきの奥千町ヶ原が手の込んだ自然の庭園だとすれば、千町ヶ原はずっとワイルドで原始の自然といった感じがします。
池塘が点在する湿原に敷かれた木道を歩きますが、登山道は湿原の端で2手に分岐します。比較的整備された新しい道に進みたくなりますが、こちらは最近になって復活した青屋古道で、さらに長い尾根歩きと林道歩きのあるルートなので間違って入り込まないように注意します。
再び針葉樹林に入り大きく下っていきます。登山道の状況はますます悪くなり、道はぬかるんで歩きにくく、下笹が足元を被い、倒木が行く手を阻みます。展望もない森林尾根をがまんしながら歩くと、千町ヶ原から2時間ほどで鞍部の桜が根に到着します。
ここから丸黒山に向かって標高差150mの急な上り返しが待っています。長距離を歩いてきた体にはとても堪える登りですが、なんとか標高1956mの丸黒山の頂上に辿りつくと後方には乗鞍岳が巨体を横たえ、北方に笠ヶ岳から槍・穂高の北アルプスの山並みが続いて疲れを癒してくれます。
丸黒山→青年の家 2:00 / 青年の家→丸黒山 3:00 |
丸黒山からは格段に登山道の整備状況がよくなり、根性坂、ガンバル坂と名づけられた急坂に広い木の階段が作られています。これは国立乗鞍青少年交流の家のオリエンテーリング道で、丸黒山を60として、100mおきに距離を示すプレートがつけられ励みになります。
池見台、白山見晴台を経て丸黒山を下ると、平金乗越の鞍部に着きます。やがて、ログハウスの枯松平休憩舎が現れ、尾根筋を行く新道とトラバース気味に進む旧道が分岐します。ここは展望もない森林地帯のため、アップダウンが少ない旧道を取る方が体力的には楽です。
新旧道が合流してからも、カラマツ植林地に小刻みにアップダウンが連続し、体力を消耗しますが、日影平山の山頂と牧場を経由して、キャンプ場を過ぎると国立乗鞍青少年交流の家の裏手にある芝生広場に到着します。
JR高山駅からのバスは午後1便のみ、予約制のデマンドバスです。
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