Panorama飛騨 飛騨路と北アルプスの絶景地ガイド

 
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中津川


 中津川市は美濃の東端、木曽川に沿った小都市で、信州に接しています。
 JR中津川駅に近い中心市街地に、中津川宿があります。中山道69次の45番目、家数229軒を誇った中山道最大の宿場町でしたが、明治時代以降の開発によって、江戸時代そのままの姿が残っているわけではありません。それでも、卯建を上げた商家が並ぶ本町かいわいや、間酒造、川上屋などに、繁栄を極めた当時の面影を伺い知ることができます。

中津川宿の街並み

 江戸寄りは商家を中心とした街並み、京都寄りは旅籠や馬屋、茶屋などの旅人が行き交う宿場町でした。江戸時代には、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠29軒がありました。江戸寄りから、新町、本町、横町(枡形)、下町と続き、本町に本陣がありました。

中津川市中山道歴史資料館
 本町筋にあった広大な本陣跡は、現在は駐車場になり、近くの脇本陣跡もビルに変わっていますが、そこに中山道歴史資料館がオープンしました。
 中津川宿は、幕末動乱期の日本史上重要な場所であり、歴史文献や資料を展示し、脇本陣の解体時に分解・保管されていた上段の間を復元しています。

9:30〜16:30 休:月 300円 電話:(0573)66−6888

中津川会議

 文久2年(1862)維新の志士桂小五郎(木戸孝允)は、江戸から京都に上る長州藩主・毛利氏を中津川宿で待ち受けました。長州藩は国難の打開に「公武合体」政策を支持してきましたが、それを「薩長同盟」による倒幕へと方針転換させるためです。

 江戸時代の宿場には、旅人の連泊が許されておらず、不審な逗留者には厳しい取調べがありました。ことに中津川宿は徳川御三家の尾張藩領であったので、桂小五郎は土地の平田国学同人の助けを得て、料亭やけ山に身を隠しました。
 藩主の到着を待って面会した小五郎は、3日間の説得の末に長州藩の方針転換を決断させます。この事件を「中津川会議」といいます。

間家大正の蔵
 大正6年に建てられた鉄筋コンクリート建築で、市の文化財に指定され、無料公開されています。
近代建築と従来の伝統様式の土蔵造りが混合した珍しい建物です。

女夫岩
 中津川駅の西、桃山公園には、高さ8mと4mの2つの巨岩が鎮座しています。自然の造形にしても、みごとな夫婦岩ですが、子ども科学博物館や児童公園があるため、ちょっと場違いな感じもします。

苗木城址

 中津川市街地から木曽川を挟んだ対岸にある鎌倉時代〜江戸時代の城址です。
 尾張藩に属する宿場・中津川宿に対して、苗木には1万石の苗木藩がありました。城主は一貫して遠山氏が居城し、織田信長没後の争いで一時的に豊臣方の森長可の手に落ちますが、関ヶ原合戦以降は再び遠山家が入城して明治維新まで続きます。

 城持ちの大名としては最小クラスの苗木藩でしたが、名城と謳われた苗木城の堅牢さは飛び抜けていました。木曽川北岸にそびえる山の頂上には巨岩が積み重なり、それら巨岩を巧みに利用した城はまさに天然の要害でした。
 本丸跡の巨岩には木製の櫓が組まれ、そこに立つと眼下の木曽川まで150m以上切れ落ちた断崖が続き、中津川市の市街地と背後の恵那山が一望できて絶景です。


赤壁城・霞城

 苗木城に建つ城郭は赤壁だったと言われています。これは、木曽川に棲む龍が漆喰の白色を嫌い、城壁を白く塗っても一晩のうちに嵐を伴って息を吹き付け、漆喰を剥してしまう、との伝説があったからでした。
 また、龍は苗木城が敵軍に攻められたとき、木曽川に雲霧を立ち込めさせて城を隠してしまった、とも言い伝えられ、苗木城は赤壁城や霞城の別名で呼ばれていました。

苗木遠山史料館
 苗木城の城門前にある苗木藩遠山家の歴史資料を展示した史料館です。遠山家に伝わるさまざまな調度品や古文書、古地図が展示されています。

9:30〜17:00 休:月 300円
電話:(0573)66−8181

苗木藩と廃仏毀釈

 苗木藩のある中津川周辺は、幕末に討幕運動をリードした平田国学が特に隆盛を極めた地方でした。その様子は、馬籠宿の国学かぶれの青年の失望を描いた島崎藤村の小説「夜明け前」に詳しく描かれています。
 中津川には倒幕を支える土壌があり、苗木藩主・遠山友禄も、幕臣でありながら薩摩藩の嘉姫を正室に迎え、平田国学派の家臣たちを抱えた大名でした。

 明治維新でいち早く新政府側についた苗木藩は、平田国学の徹底を領内で進めますが、特に廃仏毀釈は苛烈を極めました。その期間は数年間に満たないにも関わらず、城下にあった歴代城主の菩提寺をはじめ、中津川市苗木町、福岡町、東白川村にまたがる苗木藩領の寺院群は破壊され、寺号や南無阿弥陀仏の文字を彫った石碑は四つに割って土中に埋められました。
 僧侶の還俗だけでなく、領民も全て神道に強制改宗されたため、現在もこれらの地方には寺院が存在せず、宗教行事を全て神道で行う独特な文化風習が残っています。

中津川市鉱物博物館

 苗木地区の高峰湖畔、夜明けの森にある鉱物博物館です。中津川市のある東濃、南木曽一帯は、花崗岩をはじめ多くの鉱物が分布し、古くから鉱山が多くありました。地中深くのマグマが冷えて固まる際に、花崗岩のなかで結晶化した水晶や、サファイアなどの宝石から、隕石までさまざまな鉱物を展示しています。
 砂場から水晶を探すストーンハンティングは家族連れにも人気があります。

9:30〜17:00 休:月 320円 電話(0573)67−2110


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