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中山道69次の43番目、木曽11宿の南端に位置するのが馬籠宿です。現在は岐阜県中津川市に編入されましたが、木曽路の南の入口にあたります。
美濃路との境界をなす十曲峠には「是より北、木曽路」の石碑が建ち、「木曽路はすべて山の中である」との有名な書き出しで始まる「夜明け前」の文豪・島崎藤村の生誕地であることから、山々に囲まれた谷深い場所かと想像されますが、実際の馬籠宿は美濃の平野が眼前に広がる南向きの山上にあり、明るく開けています。
県境の馬籠峠を挟んだ妻籠宿と共に人気が高い観光地で、両宿場をつなぐ峠越えのハイキングコースも賑わいます。
馬籠宿は木曽路の古い街並みには珍しく、山の頂上付近の斜面に階段状に並んでいます。江戸時代に本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠18軒など69の家々があった馬籠宿は、明治28年と大正4年に相次いで大火で焼けたため、江戸時代そのままの家屋は残っていませんが、石畳の坂道や、枡形に宿場町の面影を留めています。
馬籠宿の枡形は、宿場の南の入口(京都寄り)にあります。宿場の坂下に位置しています。枡形は、戦乱時に軍勢の通過を妨害するため、宿場の要衝に設けたクランクです。石畳が90度折れ曲がり、急な階段になっています。
ここに懸けられた水車は馬籠のシンボルで、小水力発電所になっています。
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馬籠宿の旅籠だった建物です。江戸時代の生活資料や、馬籠宿ゆかりの古文書、古地図、歴代当主が蒐集してきた陶磁器や骨董品を展示しています。
9:00〜17:00 不定休 200円
電話:(0573)69−2558 |
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馬籠宿の本陣、脇本陣は明治時代の大火で消失して現存していませんが、脇本陣八幡屋の上段の間を復元・展示した資料館が公開されています。
9:00〜16:30 不定休 300円
電話:(0573)69−2108 |
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明治時代から昭和初期にかけて数々の詩歌、小説を発表した文豪・島崎藤村の記念館です。
島崎藤村の遺族から寄付を受けた、生前の原稿、蔵書など6千点を所有、展示しています。
8:30〜16:30 休:12月第2火・水 500円
電話:(0573)69−2047 |
文豪・島崎藤村は明治5年に馬籠宿の本陣・庄屋を勤めた島崎家に生まれ、9歳で上京、明治・大正・昭和を通じて数多くの詩歌・小説を発表しました。
「椰子の実」など現在も愛唱される詩歌のほか、実家や実父をモデルとして、二大旧家の没落を描く「家」や、明治維新への期待と失望を描いた「夜明け前」、また、部落差別問題を描いた「破戒」などの小説で知られます。
昭和18年に71歳で死去した後、戦後に出生地・馬籠で顕彰運動が始まり、藤村記念堂が建築され、長野県の教育施設として藤村文庫が設けられました。
高札場が馬籠宿の北の入口(江戸寄り)の坂上に復元されています。幕府が人々に対して禁制や法度を示したものです。キリシタン禁令などを記した高札が掛り、宿場を見下ろすように立っています。
高札場の上にある広い平坦地は、戦国時代の馬籠城址で、軍勢が陣を張った陣場の跡です。ここからは、目の前に雄大な恵那山の眺めが広がり、坂道に沿って美濃平野へと下っていく馬籠宿の街並みを見下ろすことができます。
中山道69次の44番目、美濃路16宿の1番目の宿場で、馬籠宿と隣り合います。
馬籠宿から落合宿の間には、島崎藤村筆の「是より北木曽路」の碑があり、十曲峠の急な坂道に国史跡に指定された「落合の石畳」が昔のまま残っています。
坂道が終わると落合宿、中央にある本陣は江戸時代の建物がそのまま残っており、中山道全域を通しても極めて数少ない例ですが、住宅のため公開されていません。
馬籠宿の眼下を流れる湯舟沢川の上流にある、ホテル花更紗を併設した総合温泉リゾートです。内風呂と露天風呂があるバーデゾーンと、プールやさまざまな運動浴施設がある水着で入るプールゾーンに分かれ、巨大なウォータースライダーなどもあって楽しめます。
10:00〜22:00 休:第4木 1500円 電話:(0573)69−5000
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