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仏ヶ尾山は川上岳から南へ続く山脈の1ピーク。
御嶽山と白山の眺めが素晴らしく、昔から雨乞いなど素朴な山岳信仰の場所でした。標高1139m、植林に覆われた典型的な南飛騨の山ですが、なかなか見栄えもしますし、山をめぐる伝説で親しまれています。 |
登山口→仏ヶ尾山 約2時間/仏ヶ尾山→登山口 約1時間30分 |
山裾にログハウスのある場所が登山口です。入口には山水がじゃんじゃん溢れるタンクがあり、水を補給して暗いスギの植林帯へ踏み込みます。
すぐに送電線下の切り開きに出て、再び植林帯に入ると、もう尾根の一角です。
わりにあっけなく取り付いたな、と思わせますが、ここからが息もつかせぬ急登の始まりです。風通しもなく、展望もきかないヒノキやスギの急斜面を、階段のように張り巡らされた根っこを踏みしめて登ります。
最初は200mごとに、1km手前からは100mごとに標識があります。「すすめ」「なんのこれしき」「根性」、中には「イノシシに注意」と書いてあって、励みになります。
息を弾ませながら登っていくと、第1休憩ポイント「展望どころ」です。東南方向が切り開かれて、眼下に萩原の街並みが小さく見えています。ここは風の通り道のようで、常にごうごうと北風が吹き抜け、木の枝を揺らします。急な直登でかいた汗がみるみる引いていきますが、体を冷やさないように気をつけましょう。
なおも続く急登にようやく足が慣れてきたころ、周囲がぽっかりと開けて、眺めのいい大岩に出ます。第2休憩ポイントの「穴岩」です。
穴岩周辺も切り開きがされて、太陽の光を反射しながら蛇行する飛騨川と、萩原から下呂温泉までの街並みが見えています。東には大きく御前山が屏風のように立ち、さらに高く御嶽山の雄大な姿が見えています。
穴岩には窪みがあり、かつて山姥が棲んでいたと伝えられます。火を焚いて窪みに煙を流し込むと、ほどなく雨が降るともいい、昔は雨乞いの儀式が行われていました。
穴岩からは雑木林に岩が混じる明るい尾根道になり、傾斜も緩やかに変わります。
北には黒谷をはさんで仏ヶ尾山の山頂が近づきます。
植林帯の暗い平坦地が現れ、再び急な斜面をひとのぼりで、御嶽大神碑のピークに到着です。主稜線上にあるピークには、木立の中に小さな鳥居と、「御嶽大神、白山大神」と彫られた石柱が立っています。かつての御嶽山、白山遥拝所の名残です。
主稜線を右へ下り、上り返すと広い平坦地に出ます。仏ヶ尾山の頂上です。
山頂も植林で覆われているが東と北方向は切り開かれて視界が開けています。北には白山、東側は乗鞍岳、ひときわ高く御嶽山が目立っています。御嶽山の前衛には屏風を広げたような御前山があり、なかなかの大展望です。
仏ヶ尾山→連坂峠 約30分/連坂峠→仏ヶ尾山 約1時間 |
帰りは来た道を引き返してもよいですが、主稜線を北へ辿ると連坂峠に出て、仏ヶ尾山を半周するように林道を歩いて登山口まで回遊することもできます。
頂上から北へ下りかけると、こちらもまた植林帯の中を一気に急降下します。距離は短いですが、登りには相当こたえる急斜面です。下りきると、そこは深山の雰囲気が漂い、熊の爪あとが残る木や、イノシシやシカのヌタ場が現れて緊張します。
やがて、明るい雑木林の尾根道になると、ゆるい上り下りが続いて、峠の地蔵が祀られた連坂峠に出ます。
連坂峠は標高900m、林道は舗装されているので、ここまで来るまでくれば短時間での登頂が可能です。峠からは杉谷沿いに旧道がありましたが、かつて馬も通ったという旧道は草に埋もれ、見る影もありません。 林道を延々4km歩いて里へ出ると、登山口のすぐ上に戻っています。
国道41号線やJR高山線が走る上呂区から、浅水大橋で飛騨川をわたります。
JR上呂駅前の国道交差点を左折する浅水大橋からは仏ヶ尾山が見えています。JAマーケット裏の道を左折し、保育園の前の道を行きます。製材所をすぎて三叉路に出ますが、登山口の看板を目印に上へ進みます。また集落の三叉路が現れ、これも上へ進みます。すると、山際に小さなログハウスがあり、ここが登山口です。
車の場合は、すぐ上の黒谷の橋のたもとに墓地があって、数台は駐車できます。
墓地からすぐ上に連坂林道の入口があり、舗装道路を約4kmで、駐車スペースのある連坂峠の頂上に到着します。ここから登れば徒歩約30分ほどで山頂です。
昔、仏ヶ尾山のふもと、野上の里に彦七という猟師がおった。
彦七は三度の飯より鉄砲打ちが好きな男じゃったが、ある日、いつものとおり山へ猟に出かけると、どういう訳か獲物がちっともおらなんだ。
黒谷をつめて、とうとう尾根の上まで来てしまった彦七は、頂上の大岩の上にようやく一羽の山鳥を見つけたんやさ。
狙いをつけて鉄砲を放つと、確かな手応えがあった。いさんで岩に駆け寄った彦七やったけど、そこで見つけたのは山鳥ではなく阿弥陀如来像やったそうや。 あまりのことに驚いた彦七は、阿弥陀如来像を大切に抱えて帰ったんやさ。 これは無用な殺生を咎める仏様のお告げなんやと思った彦七は、それ以来ぷっつり猟をやめたそうな。 いつからか、この山は仏山といわれるようになった。
ところで、この阿弥陀如来像は、実際にある旧家に祀られています。明治時代、修繕をしようと東京の仏師を頼んだところ、これは人間の技ではない。もったいなくて修繕はできない、と言われたのだそうです。
獅子頭を用いて悪魔払いや火伏せを祈祷する「神楽獅子」です。
野上獅子は、女装した舞い方が獅子頭をかぶり、笛や太鼓、唄に合わせて舞います。手には鈴や御幣を持ち、見事な手さばきで宙に舞わせたり、ユーモラスな仕草で参拝客を沸かせます。
これは悪魔払いと伊勢代神楽の影響がある獅子舞で、現在は行われていませんが、かつては獅子芝居も行われていました。
仏ヶ尾山のふもとに、カタクリの群生地があります。分布地はあまり広くないですが、春には足の踏み場もないほど密集して咲いています。ちょっとした公園風になっていますが、知る人ぞ知る穴場です。
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