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飛騨で最も古い歴史を持つ神社で、社伝には創始年代は神代、と伝わり、聖武天皇の時代に飛騨一宮になりました。
社名の水無は「みなし」と読み、水主の意味があります。かつて出雲民族が宮川をさかのぼって飛騨にやってきたとき、水源にそびえる位山を御神体として崇め、農業や開拓の神である御年神を祀ったのが始まりとされます。
飛騨一円の厚い崇敬を集める古社です。
水無神社の例祭は5月1日・2日で、優雅な神代踊りや闘鶏楽が奉納されます。
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水無神社の境内に、伝説の飛騨の匠として名を知られる左甚五郎が少年のころに彫刻したという黒い神馬像があります。
その昔、一之宮村では、秋になると夜のうちに田んぼの稲が何者かに食い荒らされて大変困っていました
村人たちは水無神社の神馬像の仕業ではないか、と噂しあいます。そこで、神主が名工を呼んで神馬像の目をくり抜いたところ、田んぼが荒らされる被害はぴたりと止まった、といいます。 |
毎年4月3日、飛騨一宮水無神社で行われる祭りです。
飛騨一円から選ばれた未婚女性9人が十二単に身を包んだ生きびなさまとして神前奉仕を行います。養蚕祭として知られ、生糸を採るための養蚕が盛んだった飛騨で、蚕の出来がよいことを願って行われました。 雅楽が奏でられる中を、平安時代の衣装を着た約200名の行列が境内を歩きます。
水無神社の由来は古くてはっきりしていません。かつて出雲民族が宮川をさかのぼって飛騨にやってきたとき、水源にそびえる位山を御神体として崇め、農業や開拓の神である御年神を祀ったのが始まりとされます。
一宮郷・久々野郷を神領として、戦国時代には武人として知られた社家・一宮長綱が山下城を構えました。その子国綱は三木自綱に属して金森長近に抵抗し、飛騨国造以来の社家の伝統が断絶しています。
また、江戸時代に19年にも渡って飛騨を揺るがした農民一揆・大原騒動では、大原代官に抗議する農民集会の場所になり、幕府の弾圧を受けて当時の神官たちが処罰されました。
明治初期には島崎藤村の父・正樹が神官として赴任しました。小説「夜明け前」の舞台です。
昔むかし、大憧寺の僧が修行のために宮川の畔で座禅を組んでいました。ところが、川音が気になって集中できません。その様子を見ていた水無神社の神様は、気の毒に思って川底に住むあじめどじょうを集め、僧を助けるように命じました。
あじめどじょうたちは川底に穴を掘り、川の水を地中に伏流させました。うるさい川音が聞こえなくなったので、僧の修行は成就することができました。宮川が水無神社の前で地中に潜り込んで流水がないのは、このためだといいます。
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