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名古屋文化のみち 江戸〜昭和を歩く


 名古屋城の東には第二次大戦中の戦災を奇跡的に逃れ、江戸時代から昭和初期までの面影を残した街並みが続いています。名古屋城に近い官庁建築、白壁の閑静な高級住宅街、徳川園の大名庭園など、さまざまな時代がクロスする一帯は、「文化の道」として、名古屋の街歩き観光で脚光を浴びています。

名古屋市庁舎と愛知県庁

 名古屋城の東側と南側には官庁街が広がります。なかでも、東に並ぶ名古屋市役所と愛知県庁の庁舎は印象的な建物です。
 眼を引くのは、四角いビルに名古屋城の屋根を乗せたような独特なデザインです。
昭和初期に流行した「帝冠様式」と呼ばれる建築で、洋風の建物の上に和風の瓦屋根が乗っている姿は、戦前のナショナリズムを反映したものと言われています。
名古屋市役所は昭和8年(1933)、愛知県庁は昭和13年(1938)年築です。

アクセス:地下鉄名城線「市役所前」

名古屋市政資料館

 官庁街の東側、赤レンガの外壁と白亜の中央尖塔が美しいネオバロック様式の建物です。大正11年(1922)に名古屋控訴院、地方裁判所、区裁判所の合同庁舎として建設され、昭和54年(1979)まで実際に使用されていました。その後、国の重要文化財に指定され、平成元年から市政資料館として一般公開されています。


 戦前、全国8ヶ所にあった控訴院が現存するのは札幌と名古屋のみで、名古屋市政資料館は最古のものです。館内では、明治時代から現代までの裁判制度の変遷が実際の法廷で人形を用いて再現されています。
 中央ロビーの階段正面に見えるステンドグラスは公正な裁判を象徴する「秤」が描かれており、会議室の豪華な調度品なども一見の価値があります。大正から昭和初期の時代を象徴する建物として、映画やドラマの撮影場所にも使われています。

9:00〜17:00 休:月、第3木 無料 電話:(052)953−0051

アクセス:名古屋駅からメーグル「市政史料館南」

白壁

 名古屋城から東に向かうと、頭上を名古屋高速空港線が走る国道41号線を挟んで、白壁と呼ばれるエリアが広がります。白壁は閑静な高級住宅街、ここに住むマダムは、東京・白金の「シロガネーゼ」に擬えて「シラカベーゼ」と呼ばれます。

 白壁と主税町、撞木町にかけては、江戸時代は中級武士の屋敷が並んでいました。
明治時代に入ると、広い武家屋敷の敷地を活かして輸出用陶磁器の生産がさかんになり、ガラスや時計、バイオリン工場などが集積していきました。
 工場近くに居を構えた経営者たちは、競ってモダンな住宅を建てたので、名古屋財界人の住宅地に変わります。豊田自動織機の創設者でトヨタグループ初代の豊田佐吉、佐助、喜一郎ら豊田一族や、ソニー創設者の盛田昭夫など、日本の産業界を代表する人々が住んでいました。

 名古屋市は、第二次大戦で徹底的な空襲を受けて市街地の大半を焼失しますが、白壁一帯は奇跡的に被害を免れ、古き良き時代の雰囲気を残す街並みが「白壁・主税・撞木の街並み保存地区」に指定されました。最近では屋敷の跡地に高層マンションが増え、全てが古い街並みではありませんが、名古屋市の歴史文化エリア「文化のみち」の一部になっています。

アクセス:名古屋駅からメーグル「文化の道二葉館」

カトリック主税町教会
 国道41号線に面した小さな白亜の教会です。明治37年(1904)に、名古屋・岐阜地方にカトリックを伝道するために建てられた教会堂で、優美な三連アーチが眼を引きます。

見学自由

春田鉄次郎邸
 陶磁器輸出商で成功した春田鉄次郎が大正14年(1925)に造った邸宅です。アールヌーボー様式の洋館で、昭和20年(1945)から26年まで、米軍の将校住宅として接収されていました。
 現在は、一部がレストランとして営業し、残りの部分は公開されています。

10:00〜15:30 休:月・金 無料
電話:(052)972−2780

豊田佐助邸

 豊田自動織機の創設者でトヨタグループの祖豊田佐吉の弟、豊田佐助の邸宅です。
豊田佐助も実業家として兄を助け、豊田紡績の役員を勤めました。大正4年に建てられた邸宅は、和風住宅の母屋と接待や商談のための洋館がセットになった屋敷で、派手さはありませんが、建物の随所に凝った造りが見られます。
アイシン精機の従業員寮などを経て、現在名古屋市が借り受けて公開しています。

10:00〜15:30 休:月・金 無料 電話:(052)972−2780

文化のみち二葉館
 日本の国際女優第1号だった川上貞奴の屋敷です。2千坪の広大な敷地を持つ邸宅で、和洋折衷の建物の豪華さと美しさから「二葉御殿」と呼ばれていました。
 名古屋の政財界人が集うサロンであった二葉館は、ステンドグラスなどモダンな意匠がふんだんに取り入れられ、当時の華やかな雰囲気が伝わってきます。2階は電力王福沢桃介と貞奴が暮らした生活の場で、落ち着いた和風の造りになっています。

10:00〜17:00 休:月 200円 電話:(052)939−2850

アクセス:名古屋駅からメーグル「文化の道二葉館」

電力王・福沢桃介と川上貞奴

 福沢桃介は秀才ぶりを福沢諭吉に見出され、諭吉の娘と結婚して養子に入ります。
その桃介には、学生時代に恋仲になった芸者・川上貞奴がいました。貞奴はオッペケペー節で一世を風靡した川上音二郎と結婚してパリ巡業を成功させ、日本の国際女優第1号となりました。音二郎の没後に貞奴は女優を引退、妻を亡くした桃介との再婚は、当時の新聞や雑誌を賑わせました。

 電力事業に眼をつけた桃介は、大正11年、「男伊達ならあの木曽川の川の流れを止めてみよ」と謳われた木曽川の激流を堰き止める大井ダムを建設し、名声を高めます。ダム建設のために貞奴を伴って名古屋に移り住んだ桃介は、二葉御殿を名古屋政財界のサロンとし、晩年まで仲睦まじく寄り添って暮らしたといいます。

建中寺

 尾張徳川家の菩提寺であった浄土宗寺院です。尾張徳川家2代の徳川光友によって建立され、代々尾張藩主の廟所が置かれました。
 かつては広大な寺域を持っていましたが、第二次大戦の空襲で境内を焼失し、戦後の区画整理で東区役所や学校、公園に敷地を削られたため、創建当時の大きさはありません。また、光友を除く歴代藩主の廟も、現在では平和公園に移されています。
 それでも、三門や名古屋市内最古・最大の木造建築である本堂は、江戸時代の建築を今に伝えています。

境内自由 電話:(052)935−3845

アクセス:地下鉄桜通線「車道」

徳川園

 尾張徳川家2代徳川光友は、元禄7年(1694)大曽根に広大な屋敷を設けて隠居の地としました。光友没後は尾張藩家老が暮らし、明治22年(1889)に尾張徳川家の邸宅となりました。昭和6年に徳川家から名古屋市に寄贈されましたが、第二次大戦の空襲で焼失し、戦後は野球場などに使われました。
 平成16年(2005)、日本庭園として再整備され、池泉回遊式の大名庭園が開放されています。広大な園内は、木曽山脈を模した築山から大曽根の滝が落ち、渓流となって伊勢湾に見立てた龍仙湖に流れ込むという自然の豊かさを再現しています。


 龍門の滝に使われている石は、もと尾張藩江戸屋敷があった東京の早稲田大学敷地内から発掘された庭園遺構を移転・復元したものです。徳川宗春の時代、尾張藩江戸屋敷を一般庶民に開放して、庭園内に出店を並べ、東海道の宿場町を再現して楽しんだ、と伝わる当時のスケールの大きさを偲ばせます。

9:30〜17:30 休:月 300円 電話:(052)935−8988

アクセス:名古屋駅からメーグル「徳川園」、地下鉄名城線「大曽根」

徳川美術館

 徳川園の庭園に隣接して徳川美術館と蓬左文庫があります。徳川美術館には、尾張徳川家に伝わる美術品や調度品など1万数千点を収蔵し、源氏物語絵巻や大名の嫁入り道具など国宝もあります。
 また、蓬左文庫は尾張徳川家の収蔵文書3千点を収蔵します。

10:00〜17:00 休:月 1200円 電話:(052)935−6262

カトリック布池教会
 昭和37年(1962)にカトリック名古屋司教区が開区したのを記念して、献堂された聖堂です。
ゴシック建築の大聖堂は、四周に荘厳なステンドグラスが配され、高さ50mの双塔を持っています

アクセス:地下鉄桜通線「車道」


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