Panorama飛騨 飛騨路と北アルプスの絶景地ガイド

 
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城山公園


 古い街並みの東南には、高山を支配した金森氏6代が107年間、居城を構えた城山があります。
 宮川を中心にした高山の街並みや、北アルプスを望む城山公園は、豊かな緑に包まれたウォーキングコースになっています。

えび坂と空町

 三町の中ほどを東西に走るさんまち通りは、上一之町から急な坂道を上がります。
石垣と白塀に囲まれた坂道の名は、えび坂です。急坂で、背中を海老のように丸めて上るためでしょうか。えび坂の上から見る三町筋は、落ち着いた風情があって高山らしい眺めです。

 三町の東にある高台の上を空町と呼びます。高い場所のことを、飛騨では「そら」ということからきています。もともと高山城の正面にあたり、金森氏の治世では武家屋敷が並んでいました。しかし、金森氏が出羽上山へ移封され徳川幕府の天領になると、侍のいなくなった武家屋敷は高山城とともに取り壊されました。

 それ以来、空町は職人が住む町になり、大工、左官、塗師などの家がひしめきあいました。いまでは、普通の住宅街ですが、あちこちに古い家も残っていて雰囲気のある街並みです。

ところで、えび坂の途中の石垣には、おかめ石と呼ばれる石があります。
「えび坂の電気の下のおかめ石・・・」というわらべ歌もあり、ちゃんと電燈もあります。
さて、見つけられますか?

煥章館(高山市図書館)
 市営空町駐車場に隣接して、2階建ての西洋風な建物があります。
 ここは高山市図書館で煥章館といいます。明治9年(1876)、高山煥章学校がこの地に建てられました。長い日本建築の伝統を誇る高山で、初めての洋風建築でした。
 煥章学校の場所はその後高山東小学校、高山市役所と変わり、平成16年、かつての煥章学校を再現した図書館がオープンしました。

電話:(0577)32−3096

川上別邸史跡公園
 金森三代重頼の弟、重勝の屋敷があった場所です。
 のちに町年寄の川上斉衛門の別邸になりました。
江名子川に面した屋敷跡には、金森宗和が築庭した、宗和流庭園が復元され、名工・谷口与三郎作の稲荷社と、江戸家万蔵作の土蔵が残っています。

城山公園

 空町の一角、飛騨護国神社の前に掘割があります。高山城の少ない遺構のひとつ、お堀跡です。
 古い街並みの東南にこんもり茂る城山には、金森氏6代107年間にわたる居城であった高山城がそびえていました。かつては天神山と呼ばれ、多賀氏、高山氏が城を構えた場所に、飛騨を平定した金森長近が16年の歳月をかけて築いたもので、城構えは日本でも五指に数えられる名城とうたわれました。

 元禄5年(1692)、金森6代頼ときが出羽上山へ移封され、飛騨は徳川幕府の天領になります。江戸から派遣された代官は宮川の対岸にある金森家下屋敷に高山陣屋を置いて政治の中心としました。
 無主になった高山城には幕府の命令で加賀藩が城番に入りましたが、費用がかさんだため、元禄8年(1695)徹底的に取り壊されました。高山の民謡には、
「飛騨の高山御城の番を 勤めかねたよ加賀の衆は」
と揶揄されています。

 二之丸には御母衣ダム建設で移築された照蓮寺があり、その奥の児童公園に金森長近像が立っています。城山を一周して東山寺町に続く遊歩道からは、宮川を中心にした高山の街並みが見下ろせます。

照蓮寺
 城山公園の二之丸にある古刹で、浄土真宗寺院としては日本最古のものです。
 約700年前、親鸞聖人の弟子で後鳥羽天皇の皇子と伝えられる嘉念坊善俊は、美濃から白川郷に布教に入り、鳩ヶ谷に道場を開いて浄土真宗信仰の中心地にしました。

 信仰を核に強い結束力を持った農民たちは、白川郷の領主・内ヶ島氏と対立し、文明6年(1474)内ヶ島為氏の軍勢によって照蓮寺が焼き討ちされてしまいます。
 その後、蓮如上人の仲裁で農民たちと和解した内ヶ島氏は、大きな赤牛に杉の大木を曳かせ、牛が止まった場所に照蓮寺を再建することにしました。牛は白川郷・中野まで来て止まったので、そこに牛が曳いてきた大杉一本で寺を建てたと伝えられます。

 天正年間、真宗門徒と協力関係にあった金森長近は、照蓮寺を高山に移し、のちに高山別院に変わりました。白川郷に残った寺は中野御坊と呼ばれていましたが、御母衣ダムの建設で水没するため、この城山二之丸に移されました。そのため、高山には照蓮寺が2つあることになります。

8時〜17:30 200円 不定休 電話:(0577)32−2052

福来博士記念館
 照蓮寺から下がった茶店の敷地にあります。
 超能力で念写された写真が展示されている、知る人ぞ知る高山のB級スポットです。
 明治2年(1869)、高山に生まれた福来友吉博士は、心理学者として38歳で東京大学の助教授になりましたが、念写と出会い、次第に超能力の研究に没頭していきます。

 明治44年(1911)、念写の公開実験を行ったところ、写真機に乾板が入っていないと指摘され、実験中止になりました。これを新聞に「手品」と書き立てられて、被験者の長尾郁子は急死、博士も東大を追われます。このエピソードを基にしたのがホラー映画「リング」です。博士の被験者には「貞子」という人もいたそうです。

8時〜17:30 照蓮寺と共通 電話:(0577)32−2052

日枝神社
 城山公園の南、杉林に囲まれた古社です。
 高山の旧市街は、安川通りを境に南北に分けられ、南の鎮守社が日枝神社、北の鎮守社が桜山八幡神社です。有名な春の高山祭りは日枝神社の「山王祭」で、12輌の豪華な屋台が南側の街並みを巡行します。

飛騨天満宮
 城山とは宮川をはさんだ対岸、高山市街の南部にあります。学問の神様で有名な天満宮です。
 延喜元年(901)、平安京の政争で藤原氏に敗れた菅原道真は九州大宰府へ流されますが、その息子・菅原兼茂も同じく山国飛騨に左遷されました。兼茂はこの地で父の死を聞き、菅原道真公の霊を祀る天満宮を建立しました。

 正保2年(1645)金森三代重頼は、金森家の家紋・梅鉢と天満宮の梅鉢紋が同じであることにちなんで、現在の社殿を再興しました。天領時代も境内に学問所・申義堂が置かれるなど、飛騨の学問の神様として尊敬されています。

松本家住宅

 飛騨天満宮の近く、住宅街の一角にある国の重要文化財に指定された保存民家です。
 高山特有の軒の深い二階建ての町家建築です。
築200年といわれ、高山市内に現存する民家としては最古のものです。吹き抜けのある母屋と中庭をはさんだ離れや土蔵は典型的な商家の構造を持ちます。
土日祝日のみ無料で開放されています。

9時〜16:30 無料 土日祝日開館 
電話:(0577)36−5600


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