Panorama飛騨 飛騨路と北アルプスの絶景地ガイド

 
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飛騨の里


 高山市の西郊外、乗鞍岳をはじめ北アルプスの山々と市街を見渡す眺めのよい場所に、合掌造り民家など素朴な農村風景を再現した飛騨の里があります。

 松倉山のふもと、吾阿弥池を囲むように、飛騨各地から移築された古民家約30棟が点在しています。
飛騨の里は、古い民家をただ保存しているだけでなく、水車小屋や田畑、雑木林、鎮守の森がある農村風景をそのまま再現し、昔ながらの手仕事が営まれる生きた野外博物館です。

飛騨民俗村・飛騨の里

 松倉山のふもと、吾阿弥池を囲むように、飛騨の古民家約30棟が点在し、水車小屋や田畑、雑木林がある農村風景がそのまま再現されています。
 重要文化財に指定された民家4棟を含む飛騨の里の建築物は、使われていた頃の姿そのままに公開してあり、その内部に農村の生活用具が展示されています。


 どの民家でも四季を通して囲炉裏に火を焚いていますが、これは木造建築の保存に欠かせないため。煙とすすが防腐や防虫の役に立っています。合掌造りで柱をゆわえつけた縄などはすすで鉄のように固くなっています。
 主要な民家では、地元のお年寄りが機織りや笠作りなどの実演をしているほか、西の工芸集落ではプロの工芸家が一位一刀彫、飛騨紬、飛騨塗、染色の伝統工芸品を製作しています。

8:30〜17時 700円 無休 電話:(0577)34−4711

若山家(国指定重要文化財)
 大野郡白川郷下滝村(高山市荘川町)から移築。
 宝暦初め(1752年頃)の建築とされています。荘川造りと呼ばれる北陸・越前系の入母屋合掌造りから、白川郷の切妻合掌造りへ移行した時期を示す現存する唯一の貴重な民家です。
 4階建ての非常に大きな民家で、1階が特に高く、えんげと呼ばれる縁側の廊下が広いのが特徴です。

田中家(国指定重要文化財)
 高山郊外の冬頭村から移築。江戸時代中期に高山の国学者・田中大秀が、田屋(小作を管理するための小屋)として使用した家です。
栗の木を手斧を用いて加工し、柱や梁にしています。 江戸時代、養蚕が普及する前の高山盆地の農家の様子を伝える素朴な民家です。

田口家(国指定重要文化財)
 郡上郡東村卯野原(下呂市金山町)から移築。飛騨の最南端に近い家です。
 名主の家で、村の集会などに使われました。濡れ縁の廊下や長方形の囲炉裏など、比較的温暖な南飛騨の民家の特色を伝えています。二階は養蚕のために広く使えるようにし、一部は落し座敷としています。

吉真家(国指定重要文化財)
 吉城郡小鷹狩郷角川村(飛騨市河合町)から移築。
北飛騨の豪雪地帯にあった家で、どっしりとした土台や柱や梁、ムカイ柱と呼ばれる木の俣を利用した構造に特徴があります。
 安政5年(1858)飛騨北部を襲ったマグニチュード7超の角川地震では、全半壊家屋が900棟近い大惨事だったにも関わらず、土台から1mずれてもほとんど無傷だったという建物です。

飛騨の里の春

 古民家に素朴な土雛が並ぶ飛騨の里ひな祭りが3月から4月にかけて開かれます。
 桜の季節が過ぎると飛騨の里でも農作業が始まり、飛騨高山に伝わる車田で丸く苗を植える田植えが行われます。

飛騨の里の夏

 吾阿弥池に水鳥が遊び、松倉山の緑も一層濃さを増す夏休み、わら細工など家族・子ども向けの体験学習プログラムも充実しています。

飛騨の里の秋

 飛騨の里の水田でも稲刈りが行われ、収穫を祝います。
 古民家を囲む松倉山の森が紅葉に染まるころ、遠くに見える北アルプスの山々は雪で白く輝き始めます。

飛騨の里の冬

 飛騨の里が雪に覆われる冬も情緒があり、山里らしい風景になります。
雪景色がライトアップされると、さらに雰囲気が増して、一見の価値ありです。


飛騨開運の森

 飛騨の里に隣接した広大な雑木林の中に、背の高い木造米倉に納まった七福神像が並んでいます。甚五郎コンビと呼ばれる2人の地元彫刻家が昭和56年から15年の歳月をかけて、大木をそのまま彫り上げた一木彫刻という作品で、自称日本一の七福神、またトーテムポールの一種として2002年にギネスブックにも認定されたといいます。
 樹齢1200年のケヤキを彫った高さ7.5m、重さ18.5トンの毘沙門天や、樹齢1000年の杉から彫った6.5m重さ15トンの福禄寿など、七福神はどれも見上げるほど巨大で、独特で素朴な表情をたたえています。

8時〜17時 500円 無休 電話:(0577)33−3317

甚五郎コンビ

 開運乃森の巨大七福神を彫り上げたのは、甚五郎コンビこと山村佐藤兵衛氏と中村円正氏です。山村氏は古川町の町会議員で、国道41号線の誘致に尽力し、ドライブイン数河の社長を務めた方。代々佐藤兵衛を襲名する彫刻家でもありました。中村氏は家具製造業の方です。
 同施設オーナーである古美術商の倉坪氏が製材所で瘤のある杉の巨木を目にしてインスピレーションを感じ、甚五郎コンビに大黒様の像の製作を依頼、樹齢700年の杉から高さ3.2mの恵比須、大黒の2像が誕生しました。

 昭和59年の正月、大黒様が夢に現れて、同じ製材所にある巨大な杉材で福禄寿を彫ることを勧められ、再び甚五郎コンビに相談、1/10の雛形作りから始め、その年のうちに福禄寿、続いて布袋様が完成。資金難に陥ったものの、友人の協力で銀行の融資を取り付け、昭和61年に弁財天、吉祥天、毘沙門天全てが完成しました。
 甚五郎コンビの巨大一木彫刻は、数河高原でも見ることができ、現代に続く飛騨の匠魂に驚かされます。


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