Panorama飛騨 飛騨路と北アルプスの絶景地ガイド

 
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飛騨国府・上宝


 高山市国府町と上宝町は、合併して日本一広くなった高山市の北部を占めるエリア。「国府」は奈良時代に飛騨国の国府が置かれたといわれます。また、古墳も多く残るなど、古代飛騨の文化の中心地でした。「上宝」は高原川の上流を意味し、川をさかのぼれば奥飛騨温泉郷、北アルプスの山々へ続きます。
 国府と上宝を結ぶ県道76号線は、正面に北アルプスを望む蔵柱川沿いの集落を走ります。観光地ではありませんが、素朴な農村風景が広がり、飛騨らしい雰囲気を残したところです。

宇津江四十八滝

 宇津江川の上流に、急峻な谷に数々の滝が連続する宇津江四十八滝があります。
 キャンプ場やレストハウスのある登山口から、標高900mの最上流部までハイキングコースの距離は約1000m。落差20mの王滝を筆頭に、魚返滝、平滝、函滝、梵音滝など風情の異なる計13の滝が森の中に落下しています。
 県立自然公園に指定されているほか、全国自然100選などにも選ばれており、春の新緑、夏の避暑、秋の紅葉に映える滝と、四季折々の雰囲気を楽しめます。

清掃協力金200円 電話:(0577)72−3948


花の森四十八滝野草園
 キャンプ場手前にある「花の森・四十八滝山野草園」は、白樺、ナラ、トチなどの自然林の中に、7万本のクリンソウと5千本のササユリ、アジサイの群生が広がる花の森です。5月下旬〜7月の季節限定で山の花を楽しむことができます。

四十八滝温泉しぶきの湯
 県立自然公園の入口に2001年にオープンした立ち寄り温泉施設。
 和風浴場と洋風浴場があり、それぞれ大浴場、源泉風呂、露天風呂、ジェットバス、サウナがあって1週間ごとに男女で交互に入れ替えされます。
 フロントで塩を買って入る湿式サウナでは、ミネラルを豊富に含んだ塩を身体や頭髪の地肌に擦り込むとすべすべしなやかな肌になります。

10時〜21時 600円 休:木 
電話:(0577)72−5526

民話 大蛇と四十八滝

 昔むかし、宇津江の村に「よそ八」という若者が母親と2人で暮らしておったそうな。
 あるとき、風邪で臥せった母親に精のつくものを食べさせようと、宇津江川に魚釣りに出かけたら、大蛇が棲むといって村人が恐れる山奥の沼まで来てまったんやさ。
 そしたら、目の前に恐ろしい大蛇がとぐろを巻いて、若者をにらんでおったんやと。

 びっくりこいて一目散に逃げ帰ったものの、高熱を出いて寝込んでまったんやさ。
その晩、美しい娘が訪ねてきて親切に看病すると、あれ不思議、若者の高熱は治ってまったんやさ。ある晩のこと、若者の夢に娘が現れて
「私は沼の大蛇です。山で千年の修行を終えて海へ出るのですが、親孝行なあなたを助けるために私の血を絞って飲ませたので、力がもうありません」
って言ったんやと。

 話を聞いた偉い坊さまは、「わしがその大蛇を救って進ぜよう」と不動明王に祈祷を始めた。急に真っ暗な雲が広がって、雷鳴とどろく大嵐が吹き荒れた。宇津江川もみるみる大水で溢れ、山から大きな石や流木が流れ下った後には沼はなく、大小十数段の滝ができておったんやと。
 後年、その行者は不動明王の化身で、よそ八とは仏法四十八願を意味するのだろうと言われ、この滝を「四十八滝」と呼ぶようになったそうな。

桜野公園
 宮川沿いに約300本の桜が咲く花見の名所です。
 南北朝時代、国府町広瀬の領主・左近将監利治が大和国吉野山から桜の苗木を運ばせ、宮川畔に植樹して花見を楽しんだと伝えられます。
 その後、飛騨八景にも数えられる桜の名所となり、毎年4月下旬に桜まつりが開かれます。

大平山安国寺
 田園地帯を見下ろす高台にある臨済宗の名刹です。
 正平2年(1347)室町幕府を開いた足利尊氏、直義兄弟の発願により、全国に国土安寧を祈願する安国寺が建立されました。そのうち、飛騨国に造られた安国寺がこの寺院です。
 国宝に指定されている安国寺経蔵は応永15年(1408)の建立で、内部には経典を納めた八角輪蔵がありコマのようにくるくる回る仕組みになっています。

電話:(0577)72−3111

十三墓峠

 戦国時代、飛騨国は南から勢力を伸ばす三木自綱と北飛騨・神岡の江馬輝盛という二大勢力に分かれて争っていました。
 天正10年(1582)三木氏の後ろ盾だった織田信長が本能寺の変で倒れると、これを機会に江馬氏の軍勢三千騎が大坂峠を越えて南進します。迎え撃つ三木氏・小島氏・牛丸氏の連合軍は手勢も少なく苦戦しますが、飛騨の合戦で初めて用いられた鉄砲の威力によって江馬輝盛は戦死し、江馬勢は総崩れになりました。

 三木自綱による飛騨統一が決定的になった戦いを「八日町合戦」といいます。
 このとき、主君を追って江馬氏の家臣13名が大坂峠で自害し、地元の人の手によって葬られました。それ以降、大坂峠は十三墓峠とも呼ばれるようになりました。

大坂峠・上宝高原

 宮川沿いの国道41号線と高原川沿いの国道471号線をつなぐルートで、県道76号線(国府見座線)が大坂峠を越えています。
 大坂峠は国府側との標高差が400m近くあり、ヘアピンカーブが連続する山岳路。
見通しが利かないながらも2車線は確保されていますが、対向車がお構いなしに突っ込んでくるので、注意して運転しましょう。

 峠の頂上から高山・国府盆地を見下ろすことができ、乗鞍岳、御嶽山、白山、はるか恵那山まで展望が広がります。秋から冬の朝には高山盆地を霧が包み込み、雲海の名所としても有名です。
 大坂峠の頂上一帯は上宝高原と呼ばれる静かなカラマツ林が広がっています。
コンサートホールを持つペンション平川は高原の一軒宿で、周囲に何もないロケーションを生かして、音楽グループの合宿に利用されています。

蔵柱の谷
 大坂峠からゆるい傾斜で上宝町の中心・本郷地区、そして高原川へ蔵柱川の谷間が長く延びています。
 大きな屋根の農家や、丹精こめた田んぼ、ゆるやかな里川など素朴な農村風景が広がっていて、飛騨で最も飛騨らしさを残した場所のひとつです。
 正面には笠ヶ岳が大きく、奥穂高岳から西穂高岳の険しい稜線も農村風景の向こうに見えます。

石仏奇岩群と杓子岩

 石仏岩は大坂峠から上宝町へ少し下った、カラマツ林の高原地帯にあります。
県道沿いの山の斜面から不思議な岩がにょきにょき突き出ています。石仏岩は最も大きな奇岩で、高さ12m。仏像の形に似ている自然の造形です。辺りには他にもさまざまな名前が付けられた奇岩を見ることができます。

 杓子岩は、高原川沿いの岩井戸地区の山中にある巨大な岩壁で、覆いかぶさるように洞窟状の窪みが開いています。
 文政4年(1821)この地を訪れた播隆上人は、山中の巨大な岩窟に籠もって百日の木食修行を行い、修行を納めた後に笠ヶ岳の再興を発願して登頂に成功しました。
国道471号線から山道を1.5km、30分ほど歩いて辿り着きます。

安永の大原騒動と本郷村善九郎

 明和2年(1765)第12代代官として飛騨に赴任した大原彦四郎は、幕府の財政難打開のため、強引な政策を行って飛騨の民衆から激しい反発を買いました。
 安永3年(1774)に厳しい検地を行ったことで、飛騨中を巻き込む農民一揆が起こります。16年間続いた大原騒動のうち、安永騒動では、総勢7万人もの農民が代官所と戦いました。

 農民たちは年貢米の江戸送りに協力した人々の家や土蔵を襲い、検地の無効を京都の公家や江戸の幕府老中、勘定奉行所へ直訴したものの打ち首になりました。
 大原代官は飛騨283村の代表者を呼び出し、一揆は過激な扇動に乗せられたもので村々の総意ではない、と申し出させたため、若干19歳の本郷村善九郎を筆頭に立ち上がった農民たちは飛騨一ノ宮の境内で2ヶ月にわたる集会を開きます。
 農民一揆に協力しない高山の町を経済封鎖した本郷村善九郎たちに対し、大原代官は近隣諸藩に鎮圧を要請し、農民13人を処刑、14人を流罪、数百人を入牢という厳しい弾圧を行いました。
 処刑される前に、本郷村善九郎が妻かよに宛てた辞世の句が残されています。

寒紅は無常の風にさそはれて莟みし花の今ぞ散りゆく 常盤木と思うて居たに落葉かな

杖石
 杖石は高原川の上流、奥飛騨温泉郷方面へ向かう国道471号線の途中に、高さ70m、周囲200mの岩塔が立っています。
 昔、弘法大師が持っていた杖を地面に突き立てると、たちまち巨大な岩に変わったといいます。杖石の下は駐車場になっていて、そこから急な登拝道が岩の頂上へ続いています。
 狭い頂上には弁天様が祀られ、直下に高原川を見下ろしますが、結構な高さを感じます。

双六渓谷

 高原川の支流・双六川は、北アルプス・双六岳を源流とする渓谷で、黒部川、高瀬川と共に北アルプスの三大峡谷と呼ばれています。
 白い巨岩が点在する渓谷には、「青い炎」と言われるほど澄みきった水が滔々と流れています。飛騨に残る秘境のひとつで、さまざまな奇岩や、大きな黒牛の魔物が住み、ロウソクの火を浮かべると水の底まで火が灯ったまま沈んでいく、という伝説を秘めた黒淵があります。


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